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これは謝罪しなくてはいけない音楽関係の話

【あらまし】 先頃お亡くなりになった高木東六先生に関して大変無礼を働いていた件について。また音楽が他の芸術分野などに対して優越する性質を持っていることに気づかされた件など。その他音楽について。

【キーワード】 [高木東六][音楽]

自分の非礼さ加減に泣けてくる。

ええと、先頃このようなニュース↓を目にして驚愕しました。

戦前、戦後を通じてポピュラーやクラシックの作曲家として活躍、テレビ番組「あなたのメロディー」(NHK)、「家族そろって歌合戦」(TBS系)の審査員などとしても人気のあった高木東六(たかぎ・とうろく)さんが25日午前0時5分、肺炎で死去した。102歳だった。通夜は27日午後7時、葬儀は28日正午から東京都千代田区神田駿河台4の1の3の東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)で。喪主は長男律朗さん。連絡先は横浜市中区山下町1の赤い靴記念文化事業団。

えーと、なぜ驚愕したのかと言いますと、私はこのブログで以前高木東六先生のお名前を出したことがあったのですよ。去年の6/23の記事なんですけど。こんな感じ↓で。

バトンを渡す5名(無視してはダメです!:笑)

大西順子さん(←今は活動停止中?なぜピアノの左側を使うのか聞いてみたい)
ELLIEさん(← love tambourinnesのvocal。今は何をしているのか知りたい)
「水中、それは苦しい」さん(←昔から探している。あ!ひと目見て憎め!アマゾン!)
高木東六先生(←故人。なんとなく)
のらみみさん(←正体不明の常連。ブログはあるらしいがURLは謎)

あまりにも無礼なので「故人」の部分は削除しておきます(滝汗)。本当に申しわけありませんでした。大抵こういうときはちゃんと調べてから書くのですけど、なぜか勝手に思い込んで書いてしまっていました。訃報記事を読むと、お亡くなりになるまでずーっとお元気というか現役で活躍なさっていたようで、なんと申し開きをすれば良いやら。

えー、ここでついでに...などというと更に不謹慎さが増しますが、せっかくですので、なんでそもそも私は突然高木東六先生のお名前などを出してきたのか?についてちょっとお話しておきましょうかね、などと思っております。

うーんと、実は私は生前の高木東六先生を生で拝見したことがあります。何かガッコの芸術鑑賞教室とかそんな感じのヤツで。

そのころ私は7年くらい続けていたピアノを辞めた頃で、まあ、辞めたといっても本格的にハイレベルな指導を受けていたとかそういうのでは全然なくて、よくある御近所ピアノ教室みたいなところにダラダラ通っていただけなんですけどね。

そんで、色々端折っていうと、なんつーか、無味乾燥な苦行みたいだったんですよ、ピアノが。毎回練習曲を課題に出されて黙々と練習して、そんでダメ出しとかされて、直したりして、そんで習得したと看做されると同じような別の練習曲が課題に出されて延々その繰り返しじゃないですか。

しかも習得した曲はすぐに忘れるので、常に弾ける曲ってそのときに練習している曲だけだし。何にも残らないじゃないですか。絵とか書いてれば出来上がった作品は手元に残るけど音楽は弾けても後に何にも残らん。もともと適性が無かったのかなんなのか知らんですけど、いつも習得中の曲しか弾けないからヒトに「なんか弾いてみせて」と言われても全然芸無しで激しくツマらんかった。

ま、ああいう子どもレベルを抜けた先には何かあったのか知らんですけど。

で、高木東六先生はそういうオイラなんかの前で華麗にモーツァルト風とかベートーヴェン風とかいって「〜風」というのをピアノでやってみせてくれたわけですよ。音楽だから出来るんだ、と言って。絵とかだとどうやっても制作に時間がかかるからピカソ風とかゴッホ風かというのをこうしてサッと披露してみせることなんて出来ないとかなんとかおっしゃっていたような。

アレ?音楽って面白いカモ?みたいに留保したような。何せ大昔のことで記憶もあんまり定かじゃないんですけどね。

あー、教育ってすぐに効果が出るタイプのモノだけじゃなくて、なんかこう気になったままずーっと引っかかって遠く(時間的etc...)まで谺するような感じで影響するのがあるじゃないですか。波紋が広がるというか。妙な影響の玉突きというかなんというか。

この時の高木先生のお話等々は私にとってはまさにソレ。そういうわけで印象深かったので御名前も覚えていたと。

うーんと、ところで何がどう波紋というか谺になったのか説明するのは、いざ書いてみようと思うと案外複雑怪奇で面倒くさいなあ(←オイ!)。

無理矢理いうとその一つは「表現というのは技法だ」ということですかね。今だとPhotoshopのプラグインとかで簡単に「ナニソレ風」のタッチをそれっぽく一瞬で再現できるので音楽だけの特権というわけでもないですけど、こういう「ナニソレ風」が簡単に出来るというのはなんつーか、そのナニソレ風に到達するまでのアレコレ無しで技術としての表現だけ簡単にパクることが可能だってことじゃないですか。

表現はパクることが出来る...表現はコピー可能だ...表現には実体がある!

・・・って感じなんですけどね。ワケワカランこと書いているように見えるだろうなあ(笑)。ええと、こういう基本構造かな。


表現者(意味1)→表現→鑑賞者(意味2)

「送り手」と「受け手」でも良いけど。「意味」っていうのもな。何かこうハッキリしないモヤモヤした不定形の情報みたいなものをイメージしているんですけどね。

そんで表現者が持っている「意味1」は持っているっていっても何かこうハッキリしないモヤモヤなので常に変化しているわけです。実体もない。実体が無いからコピーもできない。常に変化しているものを複製なんてできませんわな。

で、一方「表現者」がなんらかの「表現」(音楽とか絵画とか彫刻とか詩だとか色々)を行って作品のようなものを作り出しますわな。造りだされたそれは実体なわけですよ。不定形ではないわけです。明確な形を持ったものじゃないとそれは「表現」として表れない。音楽なら音そのものとかそれを記録した譜面なんかだし(←解釈によって再現される演奏は変わるけど)、絵画・彫刻なんかの場合も壊れたのを修復したりすることはあるけど、一定の物質としての形態は持ってますわな。詩というか、コトバを使ったものでも同じような感じです。口承のみで筆記されないものとかの場合は印刷されて正典化されたものよりも揺れは大きいけど、とにかく個別の作品には明確な輪郭というか実体がある。

繰り返しますけど、実体があるものは不定形じゃないので理論的にはコピー可能なわけです。もちろん絵や彫刻みたいなガッチリ物理的実体であるようなタイプのものはその素材のせいでコピーが難しかったりしますけどね。それでも彫刻によっては簡単に型をとって複製できるものもあるし、コピーとしては不完全極まりないけど著名絵画の多くはその実物よりもそれを撮影した写真で多くのヒトに知られてますわな。

こういう風に考えると、音楽はコピー可能である上にあんまりガッチリ物理的身体も持っていないのでコピーそのものも楽にできるものであると看做せるわけです。言語芸術の場合はなんつーのか、逆に簡単すぎてありがたみが感じられない(?)ところがちょっとアレな気もしますが。

更に言うとですね、上で書いた基本構造みたいなのの「鑑賞者」の話をしてなかったんですけど、この「鑑賞者」というのは「表現者」の「表現」に影響されてなんらかの「意味2」を持つわけです。これはモヤモヤした「意味1」とは恐らく異なった別のモヤモヤした「意味2」であるはずと考えられます。

モヤモヤを媒介しているのが「表現」という実体であって、その両端のモヤモヤは多分違うモヤモヤであろうと。そして表現者の「意味1」は常に変化しているので表現中でもそれは変わって行くわけですね。そんで完成後にその「表現」作品を鑑賞すればその表現者は鑑賞者でもあって、そのときに抱く「意味」は「意味2」なわけです。いや「意味3」でも「4」でも良いのですが、兎に角「意味1」とは違うということですよ。

・・・なんだかドンドンワケワカランことを書いている気がしますが、気にせず書いて行きます(笑?)。

なんつーのでしょうねー。要するにこの世に存在しているのは「表現」だけで「意味」は存在していないということです。「意味」というものを直接かつ完全に表現することは出来ないと言えば良いのか。

だから表現者が何かの意味を表現しようと思ったら、出来ることはある実体(音とか絵の具とか石とか)を加工する技術についてアレコレ学ぶしかないわけですよ。漠然とそれが喚起する意味との相関関係なんかも学ばないといけないわけですけど。

で、何度も話は行きつ戻りつしますけど、実体加工技術によって作られた作品だとか加工技術そのものは幾らでもコピーできるわけですよ。意味との相関関係を学んでいなくてもそれはできる。だから「ナニソレ風」が可能になる。技術的な修練というかそういうものだけで可能になるってことですな。

上で書いた基本構造の左端が無くても作品は存在し得るし鑑賞者は鑑賞できる...といえば良いのか。表現者の持つ「意味1」と関係なく表現作品の実体を捏ねくり回すことで「新しい」作品を造りだすことも可能だったり、また物理的実体はそれ自身の自律的な法則やら何やらによっても変化するので、それに伴って鑑賞者側に発生する「意味2」もどんどん違ったものになっていく...わけで。

まあ、だから何?とも今書いてて思わなくもない(←エエーッ!)。

あ、それより、今さっき確認したんですけど、私の幼少期のように毎回既習曲を完全に忘れていって常に練習中の曲しか弾けないなどという人間は稀であるらしいです(笑?)。楽器が出来るヒトに確認したらそういってました。

ちなみにそのヒトは一部ネットで有名&大絶賛らしい「涼宮ハルヒの憂鬱」とかいうののLost my Music(?)という曲の演奏シーンで聴衆の男子が指でリズム取っているのを見て「民謡じゃねーんだからそういう曲でオモテはヤメロ!」といってました。そういうもんですかね?

あー、でも確かにオイラは技術云々の前に音を記憶できないからなあ。サイモンとか全然ダメだもん。

ちなみにサイモンでググったらココ↓にフラッシュで作ったのがありました。

http://2.csx.jp/~ven/game/colors.html

マジメにやっても900点...。

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