« 新党大地(略称:大地)について | Main | 京都4区の結果 »

避モテと承認問題

id:kowagariあたりでずーっとなんかやってます。簡単にいうと「避モテ男(id:iduru)」と「非モテ男(id:kowagari)」との間の議論(?)のようなもの。実際にはid:kowagari氏が一方的に捲し立てている(説教?)だけで全く議論は噛み合ってないようですけど。

ただ、せっかくid:iduru氏の記事に「承認」ってコトバまで出て来たので議論が(学術的な場で論議されているようなテーマに繋がって行くという意味で)生産的な方向に向かうのかな?と期待したのですけど、なんだか妙な方向に捩じれていっているようです。残念。

ええと、もともとはこことかここあたりが発端だったんじゃないかと。


女性不在のまま、「女はオタクが嫌いだ!女は顔で男を判断する!」と決めつけて悲観してる男性が多い気がしたので、「そんな事ないってば」って言ってあげたかった。女にも非モテはいるんだから、仲良くしようよとも言いたかった。でもそれこそが、一番やっちゃいけない事だったんですね…。(略)もしかしたら多少反発来るかなあ?とは思っていたものの、ほとんどの人が不快感を示してるし、しかも結構誤解されてたりで、一気にへこんじゃったんですよ。

引用は上でリンクしたid:pippi氏の記事からのもの。「非モテ女(id:pippi)」からの「女にも非モテはいるんだから、仲良くしようよ」という愛に溢れた申し出=「(仲間としての)承認」に対して不快感を表明して拒絶してくる避モテ陣営の予想だにしない反応にショックを受けたようです。

でもid:pippi氏はちゃんとこの議論の核心に迫っていたと思うんですよね。ホントは。「(仲良くしようよ、ということが)一番やっちゃいけない事だったんですね」という指摘をしたのだから、次に「では、(普通は良いことなのに)なぜやっちゃいけなかったんだろう?」ということを、安易な答え(=相手のコミュニケーション能力が欠如しているからだ!みたいな)に飛びつかずに腰を据えて考えて行けば(←id:pippi氏だけじゃなく当事者全員がってことですけど)きっと生産的な議論になったんじゃないのかなあ、と思う。

あと、id:pippi氏は自分が議論している相手は「非モテ男」だと思っていたようですけど、実際には「避モテ男」も含まれていたわけですね。当時はまだ「避モテ」という語は存在してなかったので引用記事には「非モテ」しか出てきませんけど。

050823_1521001

なんか長々前フリ話をしましたけど、ここからようやく本題です。「どうして仲良くしようよ、と言ってはいけないのか?」という問いの答えについて、不肖私めが私の能力の範囲で考えてみたんですけど、それはたぶん「承認」を巡る二つの(相反する)位相が可視化されていないことに起因するんじゃないか、と思うわけです。

これはまあ、どこ界隈ってこともないんですけど、なんつーのかありふれた論点というか枠組みなんで、具体的な文献とかは示さないで、私の理解で単純化して語っておきますね(←といいつつ一応「マルチカルチュラリズム」のpp.37-110に出ているチャールズ・テイラーの「承認をめぐる政治」とかはあげておきますね)。

ええと、何かしら疎外感を表明している層があって、そんで、そういう人々をそういう人々では無い人が受け入れようとするときには二つの承認の仕方があるんじゃないかと。で、それは「仲間として承認する」ってのと「仲間じゃないと承認する」っていう二つの位相じゃないかと。

前者の方は普通にわかりやすいと思うので特に説明はしません。要は仲間はずれにしない、排除しないって意味で相手が自分の所属している社会に参加することを「承認」するってことです。「みんなと仲良くしたい」って態度ですね。

非モテ陣営がやってる「承認」というか受け入れてあげるよ、と手を差し伸べているのはコレです。ところが、この有り難いはずの申し出を避モテ陣営は無下に拒否しちゃってるわけです。そんなわけで非モテ陣営から見ると避モテ陣営は「愛を拒否して自ら『否認』されたがっている捻くれ者&拗ね者&人格障害」と認定されちゃうわけです。

一方後者の方、「仲間じゃないと承認する」はちょっと分かり難いかもしれません。というか馴染みが無いかも。これはなんでしょうね、よくある話でいうと、「同性愛者」を「異性愛が正常である社会」の中に位置づけてしまうと(つまり仲間にしてしまうと)その社会の中で、彼らは「欠陥のある(/正常ではない/異常な)異性愛者」になってしまうわけです。つまりダメ人間認定されてしまうんですよ。人間失格っていうか。

ここで彼らを疎外から救うためには、異性愛者とは根本的に違う社会階層に属する人間であると「承認」してあげることが必要になるわけですね。「異性愛社会の欠陥者」ではなく「同性愛社会の正常者」だと認めてあげることが「承認」になるわけです。そのことで彼らは自分が「欠陥人間である」と感じる苦痛や疎外から解放されるわけですよ。

この意味での「承認」を求められたときに「いや、何をバカなこと言ってるんだ!君だって異性愛社会の仲間だよ!僕は仲間として承認するよ!諦めんな!」と励ましてしまったら、それは「承認」じゃなくて「否認」していることになります。

避モテ陣営が求めているのはこっちの「承認」じゃないですかね。だから非モテ陣営が「承認」のつもりで提供している愛というか差し伸べた手というのは実は彼らを「否認」しているわけです。当人たちは「承認」というか好意のつもりでやっていることが「否認」として受け止められていると考えられます。

「仲良くしようよ!」という申し出を激しく拒否するのはそれが彼らを「承認」するコトバじゃなくて「否認」しているコトバだからなんだと思います。単純に捻くれてるとか拗ねているとか世界を憎んでいるとか愛がどーの、って問題じゃないんじゃないかな。

っつーか同性愛のタトエはあんまりよくないか。童話でいうと、アレですよ、「みにくいアヒルの子」みたいな感じと言えば良いのか。「アヒル社会」では「白鳥の雛」は「みにくいアヒルの子」なわけですよ。「ダメなアヒル」認定されて疎外感を味わうわけですね。アヒル適応度はどうしたってアヒルより低いから。

そこでその「白鳥の雛」が「私はアヒル社会の欠陥者(非モテ)という立場を捨てて白鳥社会の正常者(避モテ)として生きたいです!」と宣言して(アヒル社会の仲間じゃねーよ!と)承認を求めたときに「いや、君はアヒルだよ!アヒル社会の仲間だよ!(アヒルとして)頑張れ!(アヒルとして)努力しろ!」と励ましたら、それは彼を否認していることに...ってわかりにくいか。このタトエも。

050823_1535001

・・・とか書いたところでid:kowagariを見たらなんかTB打つとかそういう雰囲気じゃなくなってました鈴木謙介センセとかも乱入してたので(学術的っぽく)面白いことになるのかなーと期待してこんなこと一生懸命書いてた自分がアホみたい。やっぱり「はてなセレブ」はブラクラ認定しとくのが吉だな(「はてな」で面白いブログ書いている人は結構いるので「はてな」を全否定は出来ないけどさ)。っつーか「はてなセレブ」ってどんな状況でも捨て台詞書くのがデフォなんだろうか(萎)。

|

« 新党大地(略称:大地)について | Main | 京都4区の結果 »

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 避モテと承認問題:

« 新党大地(略称:大地)について | Main | 京都4区の結果 »