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内田樹センセはもう終わった

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戦略的に書いてみました。もちろん「内在的批判」ではありません(笑)。

ええと、何の話かといいますと「哀愁のポスト・フェミニズム」という人気著名ブロガー内田樹先生の記事なんですけどね。

語っている内容が不思議すぎる。と、いうか何も語っていないように見える。でもモロビトコゾリテ褒めそやすんだよな、内田センセが書いたものは。ブログ界隈なんかだと特に。

なので聞いてみたい!内田センセファンの方!是非とも「こういう風に読むと凄さがわかるナリ!」ってのを教えてください!お願いします!煽りじゃありません!マジです!

そんで以下に私がなんで不思議に思うのか説明してみますね。

不思議に思う点の最大のものは、なんつーのかボケている点なんですよ。「ボケている」とかいうと感じ悪いかな。丁度今「BRUTUS」で「杉本博司」特集やってるんですけど、なんかその作品(サヴォア邸とか)みたいなボケ方をしてるんですな。で、杉本博司さんの写真は二千万円とかいう値がつくそうだから、まあもしかしたら内田センセの高評価の理由とも関係あるのかも知らんけど。

ボケている、っていうのはなんというのでしょうね、具体的に言うと具体的じゃなさ過ぎるっていうか。「それって別にフェミニズムに限った話じゃないんじゃないの?」ってことです。試しに内田センセの論旨に従って要点というか骨組みをフェミニズム→ナントカ主義に直して書き出してみますね。

☆「ナントカ主義」というのがあって隆盛をきわめている。

☆「支配的な理説の提灯を持ってえばりちらすやつ」=頭の悪いコバンザメ的論客、が出現する。彼らはナントカ主義の理論を教条化し、その理説のほんとうに生成的な要素を破壊する「寄生虫」である。

☆教条主義的寄生虫にウンザリしてナントカ主義に対する倦厭感が社会全体に伏流してしまう。

☆ナントカ主義者の内部でも激しい批判や党(派)内対立はあって、これによってナントカ主義の「偏向」は修正されたことになっている。

☆ところが「偏向」の修正というのは寄生虫を駆除せず、寄生虫が「主観的に善良な」ナントカ主義者を駆除するために行われた。

☆ナントカ主義の理論闘争は非寛容で苛烈なので、常に後から作られた「より過激な理論」が前のものを一瞬で駆逐してきた経緯がある。そのため「寄生虫=コバンザメ」論客は「落ち目の党派的立場をいち早く見捨てて、勝ち馬理論に乗る」ことの政治的な正しさを刷り込まれてしまっている。

☆コバンザメは「当節のはやりもの」「新しいムーブメント」に乗ることを生存戦略としているので流行に敏感である。

☆そういう人間に「ナントカ主義は終わった」と囁いてやれば、彼らは次のトレンドに乗ろうとしてナントカ理論を去って行く。

☆コバンザメ野郎はいてもいなくてもナントカ主義の本質とは何のかかわりもない。コバンザメ=権力追随的な人々が消え去ったあとに、むしろその本来の生成的な運動に戻ってゆくことができるだろう。

☆心配なのは、そういう連中が去ったあとに何も残らないことである。

フェミニズムじゃなくても何についても書けそうですよね。マルクス主義、構造主義、象徴主義(!)、ケインズ主義、はあちゅう主義、etc...とりあえず「主義」がつけられるものなら何でも大丈夫っぽい。

あと少し応用すれば今話題の「モテ/非モテ」とか「ホワイトバンド問題」とかでも使えそう。というか実際に使ってみて、それでちょっといじるとこんな感じになるような気もしないでもない。ならないかもしれない。ならないかな。どうだろう。

汎用性が高いというのは通常は良いことなんですけど、でもこの内田式論法の汎用性の高さっていうのは、具体的なことを何も言ってないからこそなわけですよ。それはやっぱり問題でしょう。

内田先生がこの記事で具体的に書いていたのは、寄生虫=コバンザメの教条主義についてくらいですかね。でもそれだってこんなのですよ。


フェミニズムがその威信の絶頂にあるときに、どのような反論批判にも「男権主義者」「父権制主義者」「ファロサントリスト」と鼻であしらって済ませる、頭の悪いコバンザメ的論客がそこらじゅうでぶいぶいいわせていた。

「威信の絶頂期」っていつのことだろう?反論批判を「男権主義者」とあしらった、とあるんだけど、誰のどういう反論批判だろう?...やっぱり全然具体的じゃない。(というか「男権主義者!」とか言えば済んだ時代が「フェミニズムの威信の絶頂にあるとき」というのがどうやっても理解できないんですけどね、ぶっちゃけ。歴史認識の不一致があります)

具体的じゃないので読み手は想像するしかない。でも内田センセが何を指してこう書いているのかは内田センセに直接聞いてみないとわからない。わからないから内田センセに確認をとるまではこのような事実があったのかなかったのか、あるいは反論批判が妥当なものだったのに鼻であしらわれたのか、別に鼻であしらって構わないようなものだったのか、その是非を読み手が確認する手段がない。

これはフェアな書き方だろうか?フェミニズムではこうだった...と内田センセが書いている内容は具体的な例示がほとんどないので、読み手は内田センセが書いている内容の真偽や是非について、何一つ確認できない。あと「本来」とか「本質」とかいう語が無造作に出てくるけどこれもわけのわからなさに拍車をかけている。

で、もしかしたらこれは「勝者の非情・弱者の瀰漫」という記事で小泉首相の手法を解説したときに語っておられるような「先手」をとる戦略なのかもしれない。


目の前にいる人が「そうすることによって何をしようとしているのかがわからない」ときに、私たちは頭上に「?」を点じたままに、その場に凍り付いてしまう。これが「居着き」と呼ばれる状態である。「居着く」というのは、「相手は次にどう出るのか?」という待ちの姿勢に固着してしまうことである。一度、この状態に陥ったものは相手から「答え」が届くのをひたすら待つことしかできなくなる。これが「先手を取られる」という必敗の様態なのである。

おっしゃる通りである。読者は(←少なくとも私は)頭上に「?」が点じてしまった。先手を取られてしまっている。この部分の少し後に内田センセはこんな風にも書いている。

首相は今回「郵政民営化、是か非か」というただひとつの切り口で選挙戦を展開した。これが「先手」であったと私は思う。というのも、まさにメディアや野党が力説してきたように、「郵政民営化」がほんとうは何を意味するのかが誰にもよくわからなかったからである。 (略) 「あなたはそうすることによって何をしようとしているのか?」と問う人間は主観的には合理的な対応をしている。にもかかわらず、「謎をかけた」相手に先手を取られて、必ず負ける。合理的にふるまうことを通じて負けた人はこの「不条理な敗北」を合理的な仕方では受け容れることができない。

うーん、ということは今回のフェミニズムが...という話は合理的には理解できないってことなんだろうか。小泉首相の場合と同じで、理解したいと思って内田センセに問いかけることは必敗に繋がるわけですね。しかも「この場合の負けってなんだろう?」とか、更なる「?」まで発生しちゃって収拾がつかない。解消されようの無い「?」状態で捨て置かれるわけです。

で、唐突ですけど、同じく学者ブロガーの小谷野敦先生のものと読み比べたりすると内田式論法の特徴が明確になるかも。例えばフェミニズム繋がり(?)でこの記事なんかを見てみましょうか。ちょっと引用してみます。


『比較文学研究』85号(二○○五、四月)に、静岡大学講師の花方寿行による、西成彦『耳の悦楽』の書評が載っている。『耳の悦楽』は藝術選奨新人賞受賞作である。その最後のところに、こうある。「これだけ重要かつ興味深い論考を行える著者が、なぜ「女にひっかかる」と、あれほどめろめろになってしまうのだろうか。(引用部分最後まで略)」
 私は『耳の悦楽』を読んでいないし、花方は前のほうで具体的な批判を行っている。だからその当否はさて措くとして、この最後の文章、なかんずく「今時言語道断」という二語に、私は引っかかった。むろんその前の「見栄を切るような態度」というのが、具体的に誰の何という文章を指しているのか明示されていないために、読者は無用な穿鑿を迫られてしまう。

「具体的に誰の何という文章を指しているのか明示されていないために、読者は無用な穿鑿を迫られてしまう」とありますね。批判的に他者に言及する際にはやはりどうしてもこの点の配慮は必要なんじゃないかと思います。十分であるかどうかは別にしても。

具体的な明示があると、たとえば小谷野先生が主張している内容の是非について読者は小谷野先生に尋ねる事無しに(つまり居着かずに)判断できるわけですよ。興味があれば自分で関連文献などを読んで、論者の主張を検証できるわけです。その上でどうしても納得がいかない点などがあれば、質問した上で相手の答えを待つようなことをせず、いきなり批判すれば良い。

でも内田式論法で書かれたら読者は何も言えない。せいぜい「待つ」くらいしか出来ない。質問&返答待ちというフェーズを飛び越えて「おそらくこういうことなんでしょうけど」とやると「憶測メソッドはやめていただきたい!」とか「誤読だねえ」とか言われてはぐらかされてしまう。あと完全無視とかね。

長々書きましたけど、内田式論法の特徴はまとめると以下の二点。

★特に内容はない(どんな場合にでも言える=何も言ってない)
★具体的な議論や検証が不可能

ファンはこれがサイコーデス!というのですよね。どうしてですか?教えてください。煽りじゃありません。本気で知りたいです。

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