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力いっぱい釣られてみるかな

凡例

★青色の文字はこのエントリからの引用。オリーブ色の文字はこのエントリからの引用。

★「ばるぼら」という平仮名のハンドルは表記しにくいため以下blogdexJPと表記する。多数言及するため「氏」は省略する。

★「>」記号は、それが付随する引用が対話的言及の対象となることを示す。

以下http://mohican.g.hatena.ne.jp/amiyoshida/20050803/1123071170の言説について対話的に言及する。

asiato

>今日も質問に答えちゃうよ。

質問はしていません。「かな」とか「じゃないですか」あるいは「?」を使用している点からそう判断なさったのであれば、それはそれで構いません。具体的な根拠がなくても、やはりそれはそれで構いません。ですが「返答」を要求するつもりはありません(返答するな、と要求する気もありません)ので、リアクションは御随意にどうぞ。

> だって、むこうにコメント欄がないんだもの

個別エントリにはありませんがコメント自体は受け付けています。

> だーかーらー「優れた歴史家とは特定の事象を『歴史からもみ消す』ことができる存在だ」なんて思ってません。なんでそんなふうに思ってると思うの?

以下の思考過程で「思ってると思」いました。

何故、チャレンジャーは生まれないのではないか、と書いたかといえばひとえにお二人の功績を考えてしまうだろうと予測してのこと。はたして、その偉業に畏れをなして押し黙るもしくは、鵜呑みにするのか、知らずに感情的に嫉妬をぶつけるのかの両極端であろうと想像したからだ。


お二人の功績=偉業

歴史からもみ消すというのは三代目罵留菩羅氏のキャラ特性(ネット歴史研究家としての側面)を言い当てているだけである。

☆三代目罵留菩羅氏=ネット歴史研究家
☆三代目罵留菩羅氏のキャラ特性に付随するスキル=歴史からもみ消す

☆id:kanose氏の偉業の内容については推定不能
☆三代目罵留菩羅氏=blogdexJPからblogdexJP=ネット歴史研究家
☆ネット歴史研究は歴史研究の下位集合(subset)
☆blogdexJPの偉業:歴史研究に関係するもの

☆blogdexJPの偉業は(チャレンジャーの発生が困難なほど)すごい
☆blogdexJP=優れた歴史家

(三代目罵留菩羅=blogdexJP=優れた歴史家)は「歴史からもみ消す」スキルを持つ

優れた歴史家は「歴史からもみ消す」スキルを持つ存在である

・・・と思っていると(表出しているように)思える。

#「と思える」「と推察できる」「と見える」などには(重複しない限りは)上記のように「と」の後ろに「(表出しているように)」を補って読んでください。以前の記事にも遡って適用していただけると争点が整理されるのではないかと思います。

>そういう仕事のように、そういう仕事をしているように私が思う、感じる、見えることはあっても実際にそうなのかどうなのかはわかりません。それは私が私であってあなたではないからです。

上記引用部分と類似の指摘が多数見られます。以下いくつか引用します。

ばるぼら先生ではありませんので(略)想像することはできても理解することは不可能ですし興味ありません。興味ある人は本人に訊いて下さい。


俺がおまえでおまえが俺でってこと?残念ながらきみとぼくは他人です。私の考えや気持ちを勝手に決めないでください。

全部読むとどっかに「そういう仕事ですby.ばるぼら」って書いてあるのかなー。探してみよう。

書いたものが何を意味するのか、どのように読まれるべきであるのか、を決定できるのはそれを書いた「私だけ」である、だから他者であるオマエには語る資格がない、語ることは不可能である、語るべきではない、という主張だと理解します。

またこの主張の背後には「実際にそうなのかどうなのか」を「私だけ」は決定できる、わかる・・・という主張も含まれていると推察できます。

私は上記のような考え方には同意できませんので、その意味では私とは「まったくかみ合わない、わかりあえない、想像できないそういう事実がある」という指摘はもっともかもしれません。

ただ私の考えは、誰も追従者のいないオリジナルな考えではなく、それこそそこら中で語られて「何度も言われてすりきれた」ありふれた考えに準拠していますので、相互理解の一助となることを期待して、以下に古い本ですけど「読むための理論(世織書房、1991)」から引用してみます。

引用1


「テクスト」を読む読者は、書くことと読むことの相互関係を意識化し、「テクスト」の意味生成にあたかも共同執筆者のように自ら参加する、生産行為を行う主体となる。記号表現と記号内容は、決して安定した双面体としての関係はもたず、読者によって記号表現に新しい関係が与えられ、あたかも安定していると思われていた記号内容だけとのつながりではなく、多様で複数的な記号内容が生み出されていくことになる。「テクスト」は決して作者がつくりだした一義的な構築された世界ではなく、読者が読む事を通じて、記号表現と記号内容の新たな結合関係(記号体系そのものの転倒と再生)がつくりだされ、絶え間のない意味生成が展開される、流動しつづける世界となるのである。(p.6「テクスト」)

引用2

かつて意味は作者が造りだすもの、あるいは読む行為に先立ってテクストの中に埋めこまれているものと考えられてきたが、フィッシュ(注:アメリカの批評家スタンレー・フィッシュ)の見解は、読者の個々の読む行為における「解釈戦略」を経てはじめてテクストの意味が生じるという立場になる。(p.78「読者」)

この考え方を(もっと吟味すればもっと適切な引用箇所や文献も見つかるのでしょうけど)大雑把に要約すれば

☆テクストの意味は書く主体が一義的に規定するものではない
☆意味はあらかじめテクストに埋め込まれているものではない
☆書く主体と読む主体の両者がともに意味生成に参加している

ということでしょうか。そして「私」は執筆中は書く主体ですが、一旦書き上がってしまってからは読む主体でもあります(補足すると、書いてる途中は書きながら読む状態ですね)。全く対等とは言いませんがこの意味では「私」も「他者」も(「きみ」も「ぼく」も)等しく「読む主体」です。前者は特権的存在ではない。

つまり「私」のみが「私」の生成したテクストの意味を規定できるという主張は二重に受け入れられないものとなります。

「私」以外も意味の規定に参加できるし、「私」もまた「実際そうなのかどうか」を決定する能力を持たない、と私は考えるからです。

>おもしろジョークを言ったとしても、ばるぼらさんの価値は変わらない。

同様にしてこれにも同意出来ません。「価値」評価もまた絶え間のない変化にさらされる動的構造を持つものだと考えるためです。諄くなるのでこれ以上言及しませんが。

>あと、id:amiyoshidaと私(注:「吉田阿観男」)は別人格なので混同しないように。

もし本当にそう読めるように書いていたのだとすればこのエントリで延々id:amiyoshidaのテクストの意図について私の見解を「誤解だ!」と語って解説している「吉田阿観男」は他者であるにも関わらず勝手に(あたかもid:amiyoshidaであるかのごとくに)語っているわけですよね。

id:amiyoshidaと「吉田阿観男」を混同しないで区別するとしたら、上で引用した「私の考えや気持ちを勝手に決めないでください」等々という言説はどう理解したら(誰が語っているの?)良いのでしょうね。

確かにわかりあえなさそうです。

(以下私信)
とって付けたように最後に書きますが、でも面白かったですよ。相手をしていただいてありがとうございました。では。

といっても誰を(何を)対象に(id:amiyoshidaなのか「吉田阿観男」なのか吉田アミなのか)語っているのかは判然としていませんけど。

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http://ccoe.cocolog-nifty.com/news/2005/08/__85fc.html#more 私は上記のような考え方には同意できませんので、その意味では私とは「まったくかみ合わない、わかりあえない、想像できないそういう事実がある」という指摘はもっともかもしれません。 ただ私の考えは、誰も追従者のいないオリジナルな考えではなく、それこそそこら中で語られて「何度も言われてすりきれた」ありふれた考えに準拠していますので、相互理解の一助となることを期待して、以下に古い本ですけど... [Read More]

Tracked on August 04, 2005 09:43 AM

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