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「菊地だ!(笑)」さんをサカナに

ダラダラ&ツラツラ&ユルユル語ってみますか。

ちなみに私は菊地だ!(笑)さんの良い読者ではありません。というか著作をまだ(←今後読むと思うけど)一冊も読んでなかったりします。あと菊地だ!(笑)さんは


UAやカヒミ・カリィ他数多くのアーティストのサポート、また文筆家としても知られる邦楽界のキーパーソン

ということなので、今大急ぎでウチにあるCDを漁ってみたのですがUAとカヒミカリィはそれぞれシングル二枚ずつしか見つかりませんでした。まあ、そんなもんかな。買った記憶もそのくらいしかないし。

で、サックス奏者のところを見たのですが・・・菊地だ!(笑)さんが参加しているモノではなかったようです。具体的にはMY FIRST KARIEGirlyプライベート サーファー歪んだ太陽の4枚。えー、やっぱりホントはもっとなかったかなー。ないか。まあいいや。いいことないか。演奏聴いたことないというのはなあ。

そんな私は菊地だ!(笑)さんをbounce.comのこの連載で知りました。読み始めたのは第10回からです。日付は2004年7月1日ですね。

いやー、おもしろかった。いやマジで。当時一応私はブログを始めてはいたので2004年7月18日にこんな記事を書いているわけですよ(←オリジナルは別ブログサービス)。


タイトル:タワーはダメだが

菊池成孔の連載は面白い。bounce.comのヤツですけど。ストレートな罵倒はしてもイヤミは言えない私のような人間にはホント勉強になります。いやマジで。


当時輸入権がどうので揉めていて、なんかタワーレコードが体制側(←ゾンビ語)に与するような発言をしたんで私はキレてたんだと思います。でもたまたま目にした菊地だ!(笑)さんの連載が面白かったので過失相殺チャラだな、と納得したようなしなかったような。(補足:というより「菊池」って書いてたよ!ダメじゃん!)

当然ですがすぐに当時のバックナンバー(第1回〜9回)も読んで、まあなんというか影響受けまくりではありました。ネット上で書くときの文体とか。

あ!でもよく考えたらbounce.comはもともと紙媒体なので菊地だ!(笑)さんはアレをネット用「バカ文体」として書いていたわけではないのか・・・今気づいた・・・ちょっとショック。

まあ、文体のことはさておくとしますか(←動揺で小刻みに手が震えつつ)。

ええと、この連載「CD は株券ではない」に私が共感するのは、なんというのでしょうね、業界裏話とかそういう感じではないところですね。ちゃんと曲を聴いて、曲を分析して、さらにそれを言語化してシロウトにもわかるように伝えようとしている感じがしないでもない(←!)ところと言えば良いのか。なんかアヤフヤですけど。

もっと単純に言うとパッと文章を見た感じと違って実は割とストレートに音楽の話だけをしているところと言えば良いのか悪いのか。ま、はっきり断定しにくいのですけど。例えば第1回目でこんな風に書いています。


今やミリオン・ゲッターとしての安定感さえある中島美嘉さんですが、この曲では、何とピッチ(音程)が正しく歌われています。大きな転換期と言って良いのではないでしょうか。中島さんと言えば、クォーター・フラット(歌の音程が半音の半分だけ常に低い)という、日本人には希有なダークな音程が、そのルックスや声質と奇跡的にマッチングした好例として(略)数百万の人々を魅了(同じく、或いは逆に、クォーター・シャープ。半音の半分だけ常に高い。という現象は、ジャパニメーション文化での基本となっており、この国のフェミニズムは、半音の更に半分の高低を巡って何かを具現しているとも言えるわけです)していたというのに。

・・・うーん、どうだろう(笑)。そういえば私は音楽ライターの書いた文章はほとんど読まないので、彼女を話題にするときにピッチに触れた人が他にいるのかどうかは確認しようがないのですが、たぶんいないような気がする(←日本語下手だなオイ!)。

あと第14回ではこんな風に書いてます。


だけど、国教が無いに等しいこの国で、自分を、たかが歌手風情が〈絶対者〉〈救済者〉などと思いこんだ場合、それは自己イメージの形を取り、撞着的にならざるを得ないので、とんでもないことになる。新宗教であり絶対宗教であるオリジナル宗教のイコンになるわけだから。前歯から鼻腔の中央部当たりで共鳴させる歌唱法も(自分で物まねしてやってみると解るが)宗教的な殉教者であるが如き極度な自己愛でもないとあんな声の出し方はしない。絶対この人はバチが当たるぞ。と思っていたら、声が出なくなった。

「鬼束ちひろ」についてなんですけど、これに抗議が殺到した(←正確には「恫喝メール」)みたいなんですよ。ファンが何にカチンと来たのかはまあ、よくわかるような気がせんでもないような気配がする(←アヤフヤかよ!)。

でも「前歯から鼻腔の中央部当たりで共鳴させる歌唱法も(略)宗教的な殉教者であるが如き極度な自己愛でもないとあんな声の出し方はしない」とかいうのはどうですかね。ちゃんと技術的な分析に基づいて的確な指摘をしつつ生き方指導までしている希ガス。あとついでにこのCDに関しては売り上げ予想まで当てたようですが。

あと第19回のこれなんかもすごく的確に見える。


つんく♂ の曲は、よく〈パクり〉だと言われますが、厳密には少々違います。つんく♂は〈曲をパクる〉ほどのメロディー感がありません。元ネタ(旋律のストック)はかなり少ないか、極言すれば〈無い〉と思います。彼の作業は、完成したバックトラックを聴いて、その上で鼻歌を歌うことです。旋律に関する学問的(プロ作曲家的)経験的(DJ的)な蓄積が彼にはありませんので、古典的なポップス作曲法から見ると破格(値段の事じゃないですよ・笑・格式を外した。という意味です)が随所に見られます。破格だけで全体を構成し、数小節だけプロ的なフレーズを入れている。とさえ言って良い。批判的に聞こえるかも知れませんが、全く違います。この方法で作曲している人のもう一方の代表格が小西康陽さんです。

ウィントン・マルサリスとバーンスタインが子どもに音楽を教える番組かなんかで作曲法みたいなのの解説をしているのをボケーッと見てたことがある私に言わせてみても(←!)確かに小西康陽とつんく♂は破格ですな。わかっとらん。というかピチカートの曲を聴くとなぜイヤーンな感じがするのかストンと腑に落ちた気がしましたよ、これ読んで。

あ、でもこの回についても


何せ、鬼束ちひろさんの時を上回る嫌悪感、悪意の嵐が巻き起こりましたからね〜(笑・久しぶりで「殺す」って書いてるメール見たわ)。ヘ・ヘ・ヘ・ヘ……

という反応だったらしいです。なんだかなあ。

で、更にいうとなんかこんなこともあったようで。これじゃあなんだかわかりませんね。菊地だ!(笑)さんを目の敵にしている音楽ライターがいるそうなんですよ。で、それに関して「呪」のリンク先にある日記(5月23日)に色々書いてあります。


「マイルスといえば菊地さん」というテーゼはどこにもないと思いますが、それ意外に関しては僕も全く同意で、松尾氏による僕の批判・・・というか分析は的を得ていると思います。マイルスの音楽はダンスミュージックではありませんので混沌の深さに構造的な、ある種の「規制」がありませんでしたが、DCPRGは「マイルス・ミュージックの継承」ではなく「マイルス・ミュージックに影響を受けた、フロア対応のダンス・ミュージック」ですから、混沌さには限界がありますし(直接比較の上。では)、音楽を「分析」なんかするんじゃねえ。といった心情論はさほど奇特な物でもありません。彼は音楽を僕と同じ方法で分析することが出来ないので、気にくわないと思うのですが、とはいえ彼が僕にしていることも文章による「分析」だということに気が付いていません。つまり彼は冷静さを失っていますので、盲目的な嫉妬をしている可能性があります。

これなんかもホント惚れ惚れするというか確かに嫉妬したくもなるかもなあ、という分析ですね。あと、マイルスの音楽...というのが具体的にどんなあたりを指すのか(全部?)わからないのですけど「混沌の深さに構造的な、ある種の『規制』がありません」というのにはなんか(私の耳では)良くわからないなりに思い当たるフシもあるというか。

私が日頃お世話になっている方が詩人でして、ポエトリーリーディングなどをなさるのですよ。で、演奏をバックにというかそれと格闘しながらというか即興で詩をつくりつつ朗読するというのをやるそうなのですが、そのときに演奏者側がマイルスの曲を使ったことがあったと。で、そのときだけどうも上手くいかなかったらしいのです。上手く言葉を載せられなかったそうなんですね。

で、それとマイルスの音楽の混沌には構造的な規制がない、って話は関係あるのかな?とか。よくわからんですけど。

あ、あと「音楽を『分析』なんかするんじゃねえ」・・・には私も便乗して m9(^Д^)プギャー と言っておきたい気がするなあ。

このあたりのことは先週末とあるシンポジウムで発表した北田暁大先生のレジュメをチラ見すると


「受容の私秘性」神話の強さと、「客観的語り」--知識社会学、および「文学」的読解--への徹底した距離意識。(ex.ポピュラー音楽批評の困難。北田[2004])

ってところが該当するのかな。ちなみに北田[2004]は「“意味”への抗い―メディエーションの文化政治学」のことです。

ええと断片的な引用で意味不明と思いますが、まあ「分析されたくない」「批評されたくない」という意識がものすごく強くあって、またそう主張することの正当性を全く疑ってないってことなんじゃないかな。ポップ/カウンター/サブカルチャーの受容者(ファンとか特権的?ライターとか作り手とか)は。よくしらんけど。

で、ちょっと話はズレるけど批評や分析の拒否・・・って何なのだろうね。解釈することの暴力性みたいなのはもう言い尽くされてるから、私もそういうことはわからんでもないけど。ただ、このメンタリティのために特権的当事者が信じたいことを語って、そして語られたことへの検証は拒否されるとかいうのはね。どんだけ前近代的存在なんだよ、とは思う。サブカルはポストモダンじゃねーのかよう!と言いたい。

しかも技術論的な分析とかは特に忌避されるっぽいよね。例えばBSマンガ夜話でナントカいう少女漫画家の作品を取り上げて「(技術論的解説を加えつつ論理的に分析した結論として)絵が下手だ」と発言した出席者に「恫喝メール」を送ったり、抗議電話とかするメンタリティ。

あ、というか、普通の(?)文学でも「宮沢賢治」とか「有島武郎」とか「中原中也」とか、まあ有島は地域と年齢限定な気もするけど、そういうヒトたちについて語るというか研究するときは要注意だもんな(最近は違うかも。そもそも人々はフツーの文学読まないから)。

あー、なんか長くなりすぎて疲れて来たので唐突にこのあたりで終わっておきますか(←またかよ!)。そんな感じで。

ってゆーか長谷川潤の情報漁っている途中だった!作業に戻らないと!えーと、明日誕生日か?

私信:菊地だ!(笑)様。リンクまでしていただきありがとうございます。応援してます。あと花粉症は治る病気です。私は治りました。どうして治ったのかはよくわかりませんが。ですので希望を持ってください。それでは。

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