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心を持った機械 「ねね」プロジェクト

頭休めに読んだ本に書いてあった。ので、ちょっと調べてみます。とりあえず筆者名でググってみると・・・これがひっかかって来ました。孫引きになってしまいますが、以下のようなことが戸田先生の主張のようです。


感情は、状況対処行動のシステムとして何億年という年月をかけて動物の種の進化とともに進化し、その間に大きなシステム的拡大と複雑化を達成してきたものという仮説を立ててみることができる。進化というものは厳しい過程だから、場合によって無用に見えるものが保存されることはあっても、まったく不合理なものが拡大、発展することはあり得ない。したがって少なくともこの点から見る限り、感情の働きに「合理性」を発見しようと試みることには十分な根拠があるということになる。

機械に「感情」を実装するためには、まず「感情とは何か?」ということを明らかにしなくてはならず、そういう面での知見を得ることにも結果的になっているようです。

で、そうした仮説を検証するために、まあUNIX哲学に当てはめれば


Build a prototype as soos as possible.

ってヤツに倣ってプロトタイプ人工知能を作ったらしく、それが「ねね」のようです。

戸田先生が語っているらしい「ねね」、まあ私がつらつらと読んだ本は一般向けのもの&古いものだったせいか平仮名で「ねね」と書いてましたけど(←Lispのこともリスプって書いてたし)正式には「NENE」のようです。

情報処理学会電子図書館に講演原稿?かなんかがあるような。

それはともかくとして、なんかうまくググれないなあ・・・。あとはキノコ喰いロボット2005.4.28というネタが引っかかって来た。なんでしょうね、シンクロニシティというか単なる偶然か、大昔の研究なのにこんな近い間隔で同時に触れてしまったのですなあ。感慨深い・・・けど、ん?


心理学の戸田正直氏が提唱し、人工知能分野でも知られている思考実験に、キノコ喰いロボットというのがある。キノコを食べて自活するロボットをある惑星に送ったとき、どのような要素が必要になるか、という問いだ。キノコを見分ける能力、キノコのある場所を推測する能力などはもちろんだけれど、より難しいのは、自分がどれだけのキノコを食べていいかというルールだろう。
キノコは有限だ。一体のロボットからすれば食べたいだけ食べる方が有利だけれど、みんながそれをするとキノコが無くなり滅亡する。それに近い経験を経て、やがてロボット社会にはキノコを食べ過ぎると森の神が怒るといった神話が生まれたり、遠慮につながる感情が生じるかもしれない。こうして惑星に適応していくために、社会制度や個人の心理が築かれていく。

あれぇ?そんな話だったっけ?キノコ喰いロボットはウラニウム鉱石採取用の自立ロボットで、バイオエンジンを動かすために

星表面にいくらでも生えているキノコを食べることで補給する(p.139)

って書いてあったけど。で、このロボットが取るべき行動に対して数学的に求めた最適化プログラムと、人間がこのロボットになったつもりで行動してみる人間の行動プログラムとを比較する・・・という実験だったような。

で、人間の行動プログラムは数学的なソレとほとんど同じだったのだが、なぜか独特の歪み(←過去の成功失敗体験が判断に影響する...etc.)が生じて、そんでその原因は何か(←この環境は過去が未来に影響を及ぼさない環境だが人間が生きている世界は過去が未来に影響するから...etc.)・・・っていうことのはずなのに。

っつーかこの小橋昭彦さんの記憶(?)の歪みは何から生じたものなんですかね。っていうか

ま た GLOCOM かっ!

・・・ヤバス&ワロリング。

そうそう、で戸田先生は人工知能の研究をなさっていたのに「心理学者」なんですよね。もともとは物理学者らしいのですが。そして、まあなんつーのか今ひとつ実体のわからん「NENE」の研究を1983-1987年にかけて北大文学部でやっていたらしいのですよ。

どこで?・・・っつーもんですよ。やっぱり「行動科学科」なのかなあ。ものすごく異質だったもんなアソコ。しかも文学部の他学科では「NENE」の話なんて一切聞かれなかったし、数年後に行動科学科に行ったヒトもそういうことは全然知らんみたいだったし。

極秘プロジェクトだったのか?っつーかそっちの線から調べてみるか・・・。

当時の行動科学科のおそらく「認知情報学講座」でやっていたくさいな。で、ググるとこんなのがヒットしました。


1982.4 大学院文学研究科心理学専攻及び社会学専攻を改組し、行動科学専攻(修士課程)が設置された。
1984.4 大学院文学研究科に行動科学専攻(博士課程)が設置された。

あーでもなんとなく戸田先生のプロジェクトのあたりで強化されたってことはわかるような。いやわからんか。っつーかねー、あのローテク文学部で少なくとも計算機を使ったプロジェクトが行われていた・・・というのが驚愕ですよ。当時はワープロ原稿禁止令(←手書き以外不許可!!)が出されたような時代だし。

で、話を戻すと、結局「NENE」はどの程度のものとして完成してたんでしょうね。情報処理学会の例の講演原稿を読むしかないのか・・・でもワタクシは自然言語処理関係のしか購読してないわけで。金払うのイヤン(←ドケチ)。っつーか1987年じゃあね。たかが知れてるような。

っていうか、人工知能というかもうちょっと穏やか(?)に自然言語処理研究だが人工知能寄りみたいなのは工学部の荒木健治先生あたりがなさっているような希ガス。別に「感情」について特別関心を持っているようにも見えないけど。

というあたりで、肝心の「NENE」プロジェクトの全貌は全く明らかになっていなくて、まあなんつーのか昔の水曜スペシャル川口探検隊みたいなオチになってしまっているわけだが。

そんでトートツに言うとですね、人工知能的なものを人間とのやりとりを前提に作ろうとするのがちょっとアレではないかと。人工知能を搭載した計算機は同様の計算機と語りあうように設計されるべきではないかと。

で、人間がそれをモニタするときには自然言語による人間風の対話ではなくR2D2のピー音みたいな感じで「全く別のモノではあるが理解は可能」というもので十分なんじゃないかなあ・・・とか今適当に思った。

感情は人間のかつての環境に対して合理的に発達した機能なんだろうけど、現在の環境には甚だ不適応であるわけですよ。「感情的」な人間は列車の運転、飛行機の操縦等々で大事故を起こしたりするし。感情ではなくて「知」というシステムも後発的に発達させてきて、それでなんとかなっているわけですが、それでもなんというか「知」より「感情」を優先する向きはあるわけですね。中途半端な「知」は大抵の場合「感情」より役に立たなかったりするし。

で、そういう人間のダメな部分を補うものとして機械があるわけですよ。「感情」システムが想定していなかった場面では「知」や「知」から生み出された「機械」が補助してくれるわけですな。

リンドバーグが大西洋横断に使った飛行機には窓がありまへん(←厳密に言えば横にちっちゃいのがあるけど)。でも彼は成功したわけですな。大西洋を単独飛行する、という環境は「感情」システムが想定していなかったものなので、人間としての感覚や感情に頼ると上手くいかないわけですよ。それで彼より前にチャレンジした連中は海の藻くずとなったわけです。計器とそれを読み取る「知」システムを主に使って「感情」システムを遮断することが成功につながったわけで。

機械が有益なのはそれが「感情」システムの臭いをさせないからなんじゃなかろうかと。人間の声で「大丈夫ですかリンドバーグさん」とか話しかけてきたらスゲエダメな気がする。ナイト2000とかは好きだけど、あれってドラマの演出としては秀逸だけど実際に存在してたらダメシステムだと思うな。

っつーかなんかマイケル・ナイトの方がナイト2000の部品みたいだったし。対人間用ユニットみたいな感じでさ。

追記:そういえばナイト2000が自分のプロトタイプと対決した話のとき、正面から向かい合って互いに爆走してチキンレースみたいな状況になって、イケイケで凶悪な性格しているプロトタイプの方がチキン(先に逃げた)行為をして海に転落するとかいうのがあったような。

で、マイケルになんでオマエは逃げなかったんだ?と聞かれて「ああ、彼は自分が壊れるかもしれないことが恐怖だったんでしょう。だから先に逃げたわけです。ワタシの場合は逃げるより正面から激突した方がワタシ自身は破壊されますが、マイケルが生存できる確率は高いと判断したので避ける気はありませんでした」とかいうことを答えていた気がする。

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