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軸さえ明らかになれば

議論というのは噛み合うのではないか。そして匿名の短&単コメントが問題になるのはその軸がわかりにくいから、というか確定し得ないからではないかと思う今日この頃。

正直言って「はてな」界隈に言及するのは控えようと思っていたのですが、ちょっとだけ語ってみますわ。ええと、MOK radioのこの方のこのエントリなんですけどね。一週間前で止まっているわけですよ。なんでかなー、と思ってスクロールしてみて驚愕しました。

なんつーのかコメント欄でバトルロワイヤル状態だったんですね。フーン、やっぱり難しいのかな、この手の問題は。ブログ記事もUNIX哲学的に


Make each program do one thing well.

って感じで、限定した一つの論点だけに絞って書くべきなのかしらん?とも一瞬思ったのですが、でも人間の思考ってこういう感じで書いて伝わるものでもないしなあ。

ええと、酷評する人が自分は何が良いと思っているかを明らかにしてから語るべき、っという考えそのものは至極まっとうというか正しいと思いますよ。少なくともどういう対立軸というか基準や尺度で「ダメ」と言っているのかよくわかるので。ま、そんなこたー、書いた本人を含めこの方の記事を読んだほぼすべての人が同意していることなんだろうから、こんなこと書いている私が何かアホみたいですけど。

ただ、批判された「クリエイター」のやる気をどーのこーの、ってことになると「アレレ?」とは確かになりますわな。とにかく「否定的評価」を目にすると一瞬で腐ってしまう人だっているわけで。そういうのへの配慮云々というのはどーにもならんという「反論」はもっともともいえなくもない気もしないでもない。

ま、グチャグチャ絡んでもしかたないので、簡単に言うと「軸を明示していない批評はそれが好意的であろうと否定的であろうと徹底的にスルー」という習慣を多くの人が共有するようになれば良いね、共有するようにしようね、ってとこでしょうか。そういう提案としてなら大いに賛成できそうだし、実践も可能っぽい。

ええと、イキナリ変な方向に話を飛ばしますけどね、たとえば時枝誠記博士のソシュール批判、ってーのが昔あったんですよ。で、まあ、なんというか見当違いも甚だしい批判だったりするわけですよ、少なくとも現代人の常識からみると。

ただ、色々周辺の事柄とか時枝博士の書いた著作、たとえば「国語学原論」なんかをつらつらと眺めてみると、なんでそんなことになっているのかはある程度わかるわけです。ま、これは私の理解ですからまあアレなんですけど、要するに時枝博士はソシュールの言語論を「西欧の一般的言語論」として見てしまっていたわけですよ。ソシュール自身はその西欧の一般的言語論において激しく異端であるのにも関わらずです。

で、国語学の伝統とか諸々の知識教養体系をもとにソシュール(の「一般言語学講義」を紹介した小林英夫訳「言語学原論」)を批判したわけですよ。そして彼が批判している部分の多くはソシュールが依拠している所謂西欧言語学由来の「名詞論」的部分だったりするわけです。ソシュールのソシュール性は伝統的西欧言語論との対立軸に出てくるものであるわけですが、時枝博士から見るとソシュールが対立しているはずのものの一部に見えてしまっていると。(←余談ですけどだからタイトルが「国語学原論」v.「言語学原論」という形になるようになっているわけですね)

あともっとよくある例で言うとですね、たとえば「Macはダメだ!」と怒っている人がいて、どういうところがアレなのかよく聞いてみるとそれが計算機一般へのテンプレートな批判だったりすることもあるわけですよ。キーボードで打ち込みなんてオレはできない、だからMacダメだ!とか(笑)。

ま、フツーにMacがどういうものかわかっている人なら、Macというのはどちらかといえばそういうのじゃないタイプのものとして作られているわけで・・・(だからそれはMac批判としては有効ではないわけで・・・)というのは知っているわけです。ですが、批判者が接している計算機がMacだけな場合、そういうこともある。他の計算機との比較が出来ないので、計算機一般の傾向を指してMacの欠点と騒ぎ立てることは十分に有り得る。というかある(笑)。

自分はテレビは操作できるのだから、それと同じくらいに「使いやすく」してくれ!できないメーカはバカだ!とか言い兼ねない。っつーか言っている(←笑?)。

そんで、こういう人がネット上で「Macはダメだ!」と一言だけ言い捨てコメントをしてきたとき、された側がアレコレ誠実に想像力を働かせて対応してみても、相手を満足させることなんて不可能なんですよね。っつーか無駄なんですよ。

やってあげた対応の誠実さなんてものも相手は理解しないだろうし。もう放置するしかない。その短&単コメント言い捨て批判が「計算機一般の性質に向けたものである」ってことに批判された側が気づければまだ何か打つ手もあるのかもしれませんけど、まあ、どう考えても無理ですわな。気づいても確認のしようもないわけで。なんか割り切れないイヤーな気持ちが残るだけです。

えーと、で、この手のものに対してスルーするのが常識になれば良いのかもなー、とか思うわけです。「書くな」とか「言うな」と要求してもそれは不可能でしょうし。

私もアマゾンに書き込まれたカートヴォネガットについてのレビューを見て「氏ね!低能!っつーか理解できねーならこんなとこに書くなヴォケ!」と思ったこともありますが、まあ、彼らにやめさせるのは無理でしょう。あ、関係ないけど日本人の若手研究者とかだと時折著者本人が降臨してレビューに対応していることがありますね(笑)。アレはなんとなく微笑ましい。

なんつーのでしょうねー、「ソースの提示がないと信じない」というようなことは割と習慣として定着してきている感じもあるので、コレも頑張れば(←?)習慣というか作法として定着できるのではないかな?とも思ったりする今日この頃ではあったりなかったり。

あー、なんかアレですな。どーなんでしょーねー。参考として引用するのも若干はばかられるのですけね。こういう方もいます(笑)。


 とにかく怒られたくない。怒られるとすべてのヤル気がなくなり、さらに生きる気力も減退して目が3ミリ細くなる。体の色も薄くなっておそらく向こうの景色が見えている。まるで「ここにいない人」みたく。
 怒られるのが本当に嫌。心から勘弁。お願いだからなるべく私を怒らないでほしい。悪いところがあったらそれとなく気づく程度にさとして、怒鳴ったり、精神的にダメージを与えられるような怒り方は避けてほしい。でも、どうしても私を怒りたい場合。しょうがない百歩譲って、怒ってもいいですが、私は怒ったあなたを憎むでしょう。そしてあなたが私を怒った瞬間に、私からあなたへの信用は一瞬にして消え去ります。それ以降、それがどんなに素晴らしい言葉であったとしても、「私を怒ったあなた」の言葉であるなら完全スルー。鬼無視。怒られると縮んでいいことなんかありません。私は褒められて伸びるタイプです。

これを書いた時点(2月25日)から更新止まっているんですよね。免許は取れたのかしらん?

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