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ポ系論文読み下調べ(2)

・・・やっぱし無理。虻蜂取らず。というより外地(=北海道)なのに無理して麻のジャケットで深夜ウロついてた(←!)ら猛烈に体調が悪化しました。マズー。

おかしいなあ、以前ならアイスパビリオンのマイナス40度体験ゾーンで防寒服脱いでTシャツ一丁で「まいなすよんじゅーどごときがーっ!」とかやっててもなんでもなかったのに(←実話)。ヤワになったものよ。

それはさておき、SEGA linkネタも「続く」と書いて続けていないこともあり、イイカゲン先送り人生に終止符を打つべく(?)このネタの始末をつけておきますか。っつーか本当ならtertium quid にしておくことこそ「読み」成立の証な気もするけど、なんかそういうポストモダンな態度キライなんで(笑?)。

あ、tertium quid でググったら(←もちろん日本語ページで)こんなのが引っかかってきました。参考までに。

そんで、ええと前回紹介した論文の中のちょっとピンと来ないネタとか周辺だけでも調べてみますか。

まずは The Truth About Cats and Dogs について。邦題は「好きと言えなくて」みたいだ。

なんつーかあらすじはこちらあたりを参照すれば良いですかね。はー、原題の「The Truth About Cats...」っていうのは映画内でヒロイン(?)がやっているラジオ番組のタイトルのようですな。ペット相談番組か。

で、これがBarthesの Camera Lucida と関係するというわけだね。うーん、例によって読んでない気がする(←断定すらできない:笑)。邦題というか邦訳は「明るい部屋―写真についての覚書」ですね。


内容(「MARC」データベースより)
現象学的な方法によって、写真の本質・ノエマ(それはかつてあった)を明証しようとした写真論。私事について語ることの少なかったバルトが、直接的に母の死について触れると同時に、写真の核心に迫った彼のイメージ論の決算。

あー、あとpunctumをググるとこの方のところに

PUNCTUM(プンクトゥム)=ラテン語

フランスの哲学者Roland Barthes(ロラン・バルト)が写真論『明るい部屋』で写真の構造的規則に「ストゥディウム」と「プンクトゥム」というラテン語の呼び名をつけて分析し「ストゥディウム」が「写真に対する一般的な関心を呼び起こすもの」つまり写真に見られる文化的・時代的風俗性、単一性、コード性などであるのに対し、「プンクトゥム」は「写真のうちにあって、私を突き刺す偶然」と述べている。


ってのがありますな。うむむ。

で、映画の方はそんな高尚(?)な概念ではなくsententiousな beauty is in the eye of the beholder とか triteness なシラノドベルジュラック風の美とかいう話だと言いたいわけだね。

っつーかさー、なんでそこで「a la」とか入れるかね。別にそこも英語で書けばいいじゃんか。フザケンナ。シャレてるつもりかニャロメ!っつーか a の accent aigu 打てねー(←デジタルデバイド)。

次のは Permanent Midnight ってヤツだけど劇場未公開っぽい。邦題はだからというわけでもないだろうけど単にカタカナでパーマネント・ミッドナイトだ。


内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
『バッドボーイズ 2バッド』などを手掛ける脚本家、ジェリー・スタールの自叙伝をベン・スティラー主演で映画化。実在するハリウッドの人気脚本家の成功と破滅、麻薬漬けの日々を描く。オーウェン・ウィルソン、エリザベス・ハーレイら豪華キャストが共演。

豪華キャストの割には投げやりな解説っぽい気もするけど・・・。で、ベン・スティラー演じる主役は関係なくてエリザベス・ハーレイの役が問題なわけだ。

っつーかリンク先を見ると大変そうですな。男児を出産するものの父親が認知を拒否とか養育費受け取りを拒否とかアレコレ。非常に興味深い(←下衆ネタ大好きっ!)わけですが、ま、関係ありませんので放置の方向で。

うーん、日本語ページを見る感じだと「あらすじ」とか全然わからないなあ。あとみんな投げやりだ。たとえばここなんて


主演は「メリーに首ったけ」のベン・ステイラー、「アルマゲドン」「シャンハイ・ナイト」のオーウェン・ウィルソン、「オースティン・パワーズ・デラックス」のエリザベス・バークレー。この人気3大俳優競演で送る、破天荒なノンフィクション作品である。

・・・「バークレー」て。なんか「女と偽装結婚」というフレーズがアチコチに出てくるのでそういう役だったのかな。エリザベス・「ハーレイ」は(笑)。なんか微妙に実生活とカブるのが笑えますが。っつーかもしかしてソレ狙いでこの映画の話出して来たのか?考え過ぎですか、そうですか。

そんでハーレイの演じているキャラが Heidegger を読んでいると。そんで standing reserve とかいうのがこの映画には関係あると。ググってみましたけどねえ・・・一応こことか関係あるかな。無理矢理html化したページだからハゲしく見にくいですけど。


技術と芸術
Gestell
(Enframing)
力による枠組み
Bestand
(standing reserve)
用立て用の材料
physis
pioesis
logos
techne

うーん、これを見ると「Bestand」の英訳みたいだなあ。そして日本語訳が「用立て用の材料」ってことのようだ。

でも全然わからん。ちーっともわからん。この映画を参照できればなんとかなるんだろうけど、どーせツタヤにもないだろうし。なんとかしろやヴォケ!と叫びたい気持ちで一杯です。

っつーかHeidegger Permanent Midnight でググって出て来たページでも両者は別々に論じられてたし(こっちこっちとかね)別に誰もこれらの関係については論じてネーのでしょうか。


Liz Hurley (slim-armed and improbably reading Heidegger in Permanent Midnight) ... he never seems to get the girl.

とかいうのがここに出てくるのでインパクトはあったのでしょうけどね。

なんかよくわかんねー。ムキーっ!でももうちょっとガンバッテみるか。こちらにはこんなことが書いてあるなあ。


ハイデガーは集め立てと用立てることの関係を、用象(Bestand)という語へと関連づけて次のように定義している。「集め立てとは、用象(Bestand)として用立てる(bestellen)という仕方で現実的なものを開蔵するべく、人間を立てる、即ち挑発するところの、立てることを集めるもののことである」(TK 20)。
 かつて対象(Gegenstand)という名で呼ばれていたところのものは、いまや「用象」(Bestand)となる(TK 16)。「用象」には「在庫品」(Vorrat)という意味が響いている。だがここから帰結するのは疎外論的な状況、即ち人間がたんに主体としての地位を失い、疎外的に対象化されているという事態ではない。ハイデガーがここでニーチェの真理観、即ち存立確保(Bestandsicherung)を意識し、その上でそれを先鋭化、徹底化していることは明らかである。人間も対象も有用性の連関において適当な時に用いられるためにストックされ、またその便宜上、何らかの原理に従い計算可能なものへと換言され、分類され、呼び出されては、再度貯蔵されるものとなる。人間も自然も在庫品、言い換えれば人材であり、資材であるのだ。

うーん?これを見る限りではジェリー・スタールの才能がハリウッドで見いだされて云々って筋と無理矢理関係付け可能か?ってレベルだな。

ということでアレですよ、なんつーか哲学の基本的知識が欠けていて読み難いだけかもしれない・・・ポストモダンっぽい論文っつーかエッセーの非日本語版・・・っつーことで自虐オチにて撤収ー!!

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