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ユリイカ「ブログ作法」後のゴタゴタについて(2) 吉田さんの話をちゃんと聞こうよ

前回の記事を書いたあと、5月6日24:00〜5月7日5:00まで放送されたMOK radioに「ばるぼら」「毛利勝久」「吉田アミ」「さやわか」という4名のキーパーソンが出演するという展開がありました。この放送についてはリスナーの意見としてはこんなのがあり、放送の送り手側からはこんなのが出てます。

というわけで、以上を踏まえつつ、私なりにこのゴタゴタに切り込んでみます。

最初パッと見た印象では「販促」「はてな」「クネクネ」あたりが主な論点になりそうかな、と思ったのですがどうもそうじゃないっぽい。この三点はあくまで表面的なもので、根っこの部分にはもっと違うものがありそうです。

で、この根っこに関わる点を指摘していたのはおそらく吉田氏だけだったんじゃないかな。放送後のこのエントリに以下のような記述があります。


ネットの話なんて知らないよ&興味ないということが再びわかって良かった。私は教科書に載らないインターネット本もそういう資料的には読めなくて文体とかデザインとかにしか興味がないのでその辺の話をしたかったがあんまりできなかった気がする。

「文体とかデザインとかにしか興味がない」というのは吉田氏だけじゃなくて「さやわか」&「ばるぼら」氏もそうなんじゃなかろうかと。

吉田氏は放送で「教科書に載らないインターネット本」の表紙をああいう風にしたのはモテようとしたからだろ!とか言って「ばるぼら」氏に絡んでいたし、「さやわか」氏のニーツオルグにアクセスしたときにまず中央にDialy Linkが表示されてからテキストが表示されるのはコダワリだろ!とかそういうことをツッコんでました。

「ばるぼら」&「さやわか」氏の「ブログ否定」の根底には実はコレがあるんじゃないかな。そう考えると辻褄が合うような気がします。

だからコレについて彼ら自身がきちんと説明すれば話はこじれないで済みそうなんですけど、どうやらそのことを直接語るのは嫌みたいでした。確か「さやわか」氏は吉田氏のツッコミに対して「そういうのにコダワッテんだーとか思われるのは嫌だ」と答えていたんじゃないかな。
(*5月12日、記事最後尾付近に追記)

「ばるぼら」&「さやわか」氏は「ブログ否定」派。これは間違いない。で、否定している理由が「コンテンツが無い」「クネクネだ」ということみたい。「クネクネ」っていうのは端的に言うと「馴れ合い」ってことのようだし、広義にとらえれば「接続指向(connection-oriented )」ってことのようだ。

この彼らの主張のみに対して直接反論を試みると恐らくすれ違いになってしまって議論が噛み合なくなるでしょう。「コンテンツ(内容)はあるよ」とか「おまえらこそクネクネしてるじゃんか」と言ってもみても噛み合ない。なんで彼らがこういうことを言うのかについてちょっと目配りが必要ではないかと。

で、これは上で指摘した「文体とかデザインとかにしか興味がない」という点、このままだと長いので便宜的にfetish指向と呼んでおきますけど、を考慮しないとわからんのではないかと。

「ばるぼら」氏の著書はカルスタ的手法で書かれているようです。そして主にネット上から消えてしまった過去の「テキストサイト」の歴史について記述しているみたい。この「テキストサイト」っていうのは、何か色々「読ませるためにfetish指向の工夫を凝らしたサイト」(だった)らしいです。

具体的にはフォントサイズや色の部分的変更だったり、放送中にあげられた例では「西田敏行の画像をクリックするとまた西田敏行が出てくる」とかそういうガジェット的な仕掛けが凝らされていたもののようです。

「ばるぼら」氏にとっての「コンテンツ」というのがそういうもの、つまり読み手を(書いてある意味内容だけではなく表現の方法そのものによって)楽しませる工夫が凝らされているものであることが優良コンテンツである、という判断がなされているとすると、現在のブログの隆盛による表現方法の画一化はコンテンツの貧困化と同じことになってしまうのでしょう。

ブログ化というのはWebページがブログツールによって管理運営されていくことと定義して良いと思います。よくブログの利点として「更新が楽」などということが言われますが、これはちょっと考えるとブログツールを使わなくても可能です。つまりブログ以前にもWebページ運営管理ツールはあって、画一化したWebページを作る環境はあったわけです。更新が楽な環境はあったけどハヤってなかった。

で、ブログとそれらの大きな違いは、後者のようなWebページを運営する理由は「能力の欠如」としかみなされていなかった(恥ずかしいこととされた)のに、前者にはそれ以外の理由が認められているということです。

たとえ話をすればブログというのはWebページのペーパーバック化、みたいなものでしょうか。豪華な装釘を施しフォントや紙や綴じ方やレイアウト等々に凝りに凝ることが本にとって重要なことだと考える観点から見たら、ペーパーバックは最悪の手抜き本ということになるでしょう。

ペーパーバック本は、もしそれ一冊と豪華本とを物質的に比較したら、つまりfetish指向の観点から比較したら確かに勝負にはなりません。でも、ペーパーバックの価値はもともとそこにはなくて、大きさやサイズ、レイアウト等々が揃っている点にこそあります。印刷のしやすさ・価格・流通・保管等々の点で利点があるわけです。情報の流れやすさ、というところで利があるのであの形態になっているわけです。

この観点からいうと逆にfetish指向の本には価値が無いわけです。印刷が面倒で価格も高騰、流通させにくく、保管しづらい。行き着くところまでいけばグリーナウエイの「枕草子」のように愛した相手の死体の皮に毛筆で書き綴った本・・・みたいなところまで行く訳ですよ。行き過ぎですか、そうですか。

「ばるぼら」氏のブログへの不満というのはこういう観点からなんじゃないかと思います。だから彼はブログ文化の終焉を願い、「『ひぐらし』おもすれー」「次に来るのはフラッシュ」と言っているのではないかな、と思う訳です。

「ひぐらし」というのはエロゲーだそうで。私は全く知らないジャンルです。でも東浩紀先生の「動物化するポストモダン」をこの間借りてきて読んだので、ちょっとだけ想像はつきます。

ゲーム中選択する行為を行わない、と言ってたので、たぶん画像が表示され、音などが出つつ、テキストが表示される、というものなのでしょう。この特徴は「フラッシュ」作品にも当てはまると思います。

で、「ばるぼら」氏は読む行為に伴うfetish指向を満足させるような「コンテンツ」はネット上ではフラッシュ作品に期待するしかない、という未来を語っているのではないかな、と。

長くなりすぎてもアレなのでここらで適当にまとめます。

著作を読んでいないので勝手な想像で書きますけど、おそらく「ばるぼら」氏が語る歴史はfetish指向史観で書かれているのでしょう。CD-ROM媒体で流通した初期のマルチメディア作品とか大好きだったんじゃないかな、とかも思います。そのあとそれらは媒体をCD-ROMからWebページに移して所謂「テキストサイト」へと変質したんじゃないかと。

そしてせっかく回線が大容量化したにもかかわらず、世の趨勢は接続指向のブログへと移ってしまったので「あー嘆かわしい」と感じているのではないか、と。

だとすると、「ユリイカ」トークショーで栗原裕一郎氏と話が噛み合ないのは当然じゃないかな、と私は思います。毛利氏は「異分子」といってましたが、あまりに異分子すぎたんじゃないか、と。

あとユリイカ編集長の郡淳一郎氏が「ばるぼら」氏の本みたいなものを本当は「ユリイカ」でやりたかったという感想を漏らすのも当然かな、と。「詩」は元来fetish指向なものですから(思潮社の現代詩文庫とかはアレだけど)。

ただ現実に特集「ブログ作法」で、ブログを書いているヒトたちの感想を載せるような企画をしてしまって出版されたあとで、その打ち上げトークショーという場に、そうしたものを根底から全否定するヒトを参加させて遠慮会釈なく(しかもメインで?)語らせる、というのはかなり無理があったんじゃないか、とは思います。

やるなら「ブログ作法」の内容を一端総括した後で、争点をはっきりさせた上で別の企画としてやるべきだったんじゃないか、と思います。

そしてトークショーで「ばるぼら」氏が語るとブチコワシになることは本当は予測出来てたんじゃないのかな、とも思います。それなのに強行したのはおそらく「販促」のためじゃないかと。

で、栗原氏は「ばるぼら」氏の本の販促のために便宜をはかってあげたのに「ばるぼら」氏が空気を読まない(←ブログ全否定すんなっつーの!オレの立場ネーダロ!ってことね)ことに苛立ったのかもしれない。

さらにトークショー後にダメ出し(『ばるぼら』氏をトークショーで生かせなかった栗原氏は能力が低い、わかってない等々)してきた毛利氏に対して「どんだけオレを『ばるぼら』本の販促に利用すりゃ気が済むんだよ!」と思ってキレてもしかたがない部分もあったんじゃないかと思います。

「おれはべつにばるぼら氏の本の販促のために出向いたわけじゃありません」「翔泳社毛利さんが販促に利用したりしなければスルーしてます」と自身のブログに書いてますね。

ただ毛利氏が栗原氏が言うように意図的にそれをやったのかどうかはわかりません。自身のブログでは「オレは誰かを販促に利用しようだなんて企んでないですよ!」とは書いてますね。販促については空気を読んだり他人に配慮する余裕がないくらい必死なのかもしれないとは想像できますけど。

補足:販促に必死(あるいは利用)の傍証。

「絵文録ことのは」のこの記事によれば


なんと、ばるぼらさんのあの創作意欲を生み出した本の担当編集者にめぐりあえるとは! 偶然にしてもできすぎた話だが、現実というのは恐ろしい。だが、その後に続いた言葉は絶望的だった。
「でも、この本って、すごく売れなかったんだよね」
あんな感じの本はもう作りたくない、ということであった。

ということなので毛利氏に危機感はあると思われる。(←追記:私の引用した部分だけを御覧になってリンク先を参照されなかった方がおられた場合、誤解を生みそうな表記となっていることをおわびいたします。リンク先の記事を必ず参照なさってください。)(←追記2:左記の件についてTBで御指摘いただいた松永英明@絵文録ことのは様、ありがとうございました)また、「ばるぼら」本は当初昨年9月発売の予定だったのが、増ページ(とそれに伴う)増価格となって今月発売となった経緯があるようだ。

「たけくまメモ」のこの記事によれば


う……オビの俺の名前がこんなに大きく? これじゃまるで俺が著者に見えてしまう…ってことはないか。もちろん俺は中身にはまったく関係しておりません。著者はばるぼらさん、解説は大森望さんであります。

とある。コメントはしない。

「日日ノ日キ」のこの記事によれば


うすうす気づいていましたが、そりゃあ出る前吐くくらい緊張しておかしくもなる。基本ばるぼら君の販宣ラジオだったと冒頭あったので私はこりゃ来ても意味なかったかもと思いはじめかなりしょんぼりしてきたよー。

とある。コメントはしない。

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