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マウントバッテン卿

ウチの祖父関係で名前を聞いたことがあった(←誤解を生む書き方だなあ:笑)のだけどこんなドメジャーな方とは知りませんでした。時事通信から配信されたというこんな記事が出てるんですけどね。


英国立公文書館に保管されている48年の同国政府文書によると、マウントバッテン提督は、当時進行中だった東京裁判を念頭に、「軍は純粋に政治的な性格の裁判にかかわるべきでない」と主張し、日本の戦争指導者を戦犯裁判にかけることに反対を表明した。 
(時事通信) - 4月11日23時1分更新

うーんと、でも時事通信の元記事は確認できないしなあ。あとこのニュースの大元がわからん。っつーかウラがとれん。

英国立公文書館はググってみるとやっぱりちゃんとしたサイトがあるみたいですわ。こういうあたりエゲレスは大得意だよね。感心するよ、マジで。

でも全然わからん。どこに出ているんだ?っつーか時事通信とかYahooもさ、ネットの記事ならURLを記すとかなんとかあるんじゃね?こんなイイカゲン情報じゃ何の役にも立たんですがな、と言いたい。

とりあえず mountbatten で検索したらここが出た。最新でも2004年だなあ。わけわからん。

っつーか、仕方がないからつらつらとマウントバッテン卿と桜井省三中将(←誰?)について調べてみますかね。

まずはマウントバッテン卿。

ググってみるとこんな人らしい。


Mountbatten of Burma,Louis Francis Albert Victor Nicholas Mountbatten,1st Earl

名前ながっ!最初のパートは称号らしい。ビルマのマウントバッテン。ブルマではない(←定番オヤジギャグ)。で、最後のパートのEarlってのが「伯爵」ってことらしい。関係ないけど紅茶の Earl Grey って二代目グレイ伯爵の名前をとっているんだね。ほんとカンケーネー。

そんで最後は


1979(昭和54)年8月27日 スライゴー州(アイルランド)でIRAの時限爆弾にヨットを爆破され死亡

うわ。爆殺か。生まれは1900年なんだね。ふーん。あと紋章はこんな感じみたいだ。カッケー。

お顔の方はこんな感じのようだ。

で、だ。桜井省三中将の話。よくわからんけどここに解説がありました。


桜井省三
 第33師団長としてラングーンを占領し、エナジョン油田を無傷で確保した。掃討戦終了後は日本軍だけでなくイギリス軍の慰霊碑も作らせたことからイギリス軍の評判も高い。その後、ビルマ駐留の第28軍司令官としてビルマ西南海岸防衛を担当。第15軍、第33軍が相次いで壊滅状態となりビルマ防衛が破綻しても、第28軍をもって絶望的な後退戦闘を指揮し、「自滅も降伏もせず、どんなに苦しくとも敵の囲みを突破し脱出する」との方針の元、第28軍の全滅を防いだ。この際、桜井軍司令官と指揮下第54師団の宮崎師団長とのペアはあまりにも有名。第二次世界大戦の日本陸軍において名将と名高い。 陸軍中将

ええとね、「イギリス軍の評判も高い」で、具体的に誰が評価したのか?っていうとそれがマウントバッテン卿らしいのでやんすよ。「日本軍だけでなくイギリス軍の慰霊碑も作らせた」って書いてますけど日本の方は慰霊碑じゃなくて戦勝記念碑ね。一般日本兵にはクソ労働をさせて仕返ししてたみたいですけど桜井中将は別荘に招いたりして厚遇したらしいです。

なんつーのかねー。あとここにもチラっと出てますね。「陸士23期恩賜 陸大31期恩賜」って書いてある。陸軍士官学校→陸大というエリートですな。しかも今はレストランになっている邸宅でわかる通りにアレな方なようで。マジでステキやん。レストランの住所とかはこちらにありました。


文京区西片2-7-15/明治中頃/木造

ルリス ダンラバレ・・・仏語わかんね(←「谷間の百合」って書いてあるよ!)。でも行ってみたいナリ。

あ〜、で、冒頭に思わせぶりに書いた(←!)祖父との関係ですが、まあ別に無関係・・・じゃなくて桜井中将の部隊、第28軍:「策」集団所属だったんですよ。ええと、ビルマ戦についてはこんなあたりかな。


本書では全般的に日本軍の将兵のすさまじい敢闘精神、強靭な精神力、厳しい軍規を称える記述が随所にみられる。

・・・。まあ英軍もそう言ってるみたいだし(笑?)ただ色々ではあったみたいです。

なんつーのかビルマ周辺ではものすごく優秀な将校と無能で有害で体育会系な将校が混在していたようで。要するに名指しはしませんがアホ100%な人とその一派が無茶苦茶なことをやろうとするので(←しかもその手のヒトたちは状況が悪化してくるほどバカ度増&行動力upという傾向がありますからな)押さえつけるためにマトモ系も増員された結果のようですけど。

あ〜そんで有名なインパール作戦なんですけど、それに参加した「祭兵団」「弓兵団」「烈兵団」(←2011年6月22日追記:2011年4月に御指摘をいただきました。「弓兵団」については下にも書きましたが典拠とした書籍に「Y兵団」と伏せて書かれてあった兵団をYumi兵団だと思い込んでしまったための誤記です。大変失礼いたしました。またこのときなぜ「烈兵団」も評判が悪いと書いたのかについては根拠となる文献等々の記憶がありませんが、おそらく抗命事件に関することではないかと思われます。ですが出典がわからない以上、こちらについても訂正いたします。すみません)。評判悪いですからね。うーんとこれあたりも関連書籍ですな。

で、「烈兵団」がどこらへんのヒトたちだったのか(岡山かな?)ちょっと記憶がないんですけど、「祭兵団」=大阪&「弓兵団(←「安兵団」の間違いです。田中稔著『死守命令』において「Y兵団」と記述されている部隊を「弓兵団」のことだと思い込んでいました。申し訳ありませんでした。)」=京都京阪神地区は有名ですね。帝国陸軍「最弱」部隊として。しかも弱いくせに不平不満ばっかり言うので指揮官はみんなゲッソリしたらしいです。

色々逸話があるようで、腕がちぎれたりアメーバ赤痢で死にかけてる人なんかが収容されている野戦病院に「足にマメが出来て痛いんや、入院させて」とか言ってくるとか。あとすぐに逃げるくせに新式兵器や食料をガメたがるとか。偵察任務をサボって嘘報告するとか。とかとか。いや、ウワサですけどね。

あんまりクソ野郎ドケチ野郎どもなんで同じ日本軍の他の部隊が弓兵団安兵団を襲って食料強奪したとかいう話も聞きますしね。ウワサですけど。ま、兵隊として「最弱」であることが必ずしも悪しきことではないのかもしれませんしね。一緒に戦うのはゴメンだけど。

上記「ウワサ」は先述した『死守命令』(光人社NF文庫)において九州の部隊「菊兵団」の視点から描かれた内容をもとにして書きました。たとえばpp.157-161「Y兵団の野戦倉庫」という部分にY兵団が弱い上にケチであること、pp.318-321「M兵団に配属を命ず」には偵察任務をサボる話が出ています。食料強奪の話はpp.347-350にあります。当事者の一方からだけの記述なので「ウワサ」と書きました。また「あんまりクソ野郎どもなんで」というのは襲った側が主張する「理由」について書いたつもりでしたが、確かに私自身の見解とも読める書き方でした。不愉快に思われた方にはお詫び申し上げます。「クソ野郎」という記述は私による「意訳」ですので『死守命令』にも出て来る「ドケチ野郎」を使った方が正確だったかもしれません。ニュアンスは少し変わってしまいますが一応訂正しておきます。

あ〜際限なく脱線していきますのでここらでマトメますか。なんか昭和天皇訪欧の際に英国貴族が敵対行為をした・・・って話を聞いたことがあったのですが、どうやらその貴族っていうのがマウントバッテン卿らしいです。ここに出てます。


1971年秋、昭和天皇のイギリス訪問にあたって、平素は国民に「人気があるとは決していえない」マウントバッテン卿が、そのスケジュール表から天皇との会見を除外したということだけで、人々の「大喝采」を博し、一躍その株をあげた。

あとこれに続く部分で

英国紙『オブザーバー』は、「ひとつの事実さえなかったら、天皇を歓迎することができたかもしれない」と評した。訪英中に昭和天皇が植えた記念樹は何者かによって引き抜かれ、それから十数年を経て天皇が臨終の床についたとき、『サン』などの英国大衆紙はこぞって「地獄が天皇を待っている」などと書きたてた。(略)そして1998年初夏、現天皇の英国訪問に際してなお、日章旗は燃やされ、イギリス人元捕虜らは天皇のパレードに背を向け、口笛を吹いて抗議の意を表した。日本軍の英軍捕虜に対する「否定しがたい残虐性」は、まさに戦後イギリスが抱いた反日感情の源泉であった。

と書いてますね。「否定しがたい残虐性」か。「アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界」とかの話とかもあるけどね。白人が黄色人種にコケにされたという恨みなわけでもともとそっちが見下しているのが悪いのでは?とか言ってもダメなんだろうね。なんだかな。

それでも祖父が語っていたらしいことによると(←直接戦争の話なんてしたことなかったからなあ)英軍は将校に対する待遇と一般兵に対する待遇が全然違ったらしくて、良かった(←?)とのことです。家宝の刀は失ったけどね。

なんつーかオランダとか中国、ソ連方面は将校に対してもムチャクチャ(内実は色々みたいだけど)だったみたいだし。っつーかオランダは基本的にカンケーネーはずなのにな。玉音放送でもベイエイソシシコクって言ってるし。コソボ紛争でも国連軍として派遣されておきながら目の前で保護すべき住民を虐殺されても何にもできずにいた「最弱」軍隊だったくせに戦後セルビア人を裁判(?)でグチャミソにしてたなあ。

あとマウントバッテン卿に話を戻すとこんなページ(音が出ます注意)もあってロマノフ家の話を書いているのですが「偽アナスタシア皇女事件」で猛烈否定派(ニセモノだ!派)だったようです。DNA検査の結果「ポーランドの女工フランシスカ・シャンツコフスカ」だったようなので彼が正しかったってわけですな。


このマウントバッテン伯爵は若い頃、アナスタシアのすぐ上の姉マリアに恋心を抱き、終生自室に彼女の写真を飾っていたそうですよ。

貴族は貴族を知るってことですかね。あ、なんか王侯貴族ネタブログを発見。ブログ界隈もよくみると色んな方面に広がってるなあ・・・(←そんなオチかい!)

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