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電車男とイラクと小樽

三題小話ってわけでもないけど。批評に対する批評を批評してみるというか。ちょっと気になるんですよね。こう見えても(←誰も見てないけど)私は筋金(←しかもアダマンチウム製)入りのリベラルなんで。ある種の抑圧のニオイに敏感というか。

そもそものことの始まりは小樽文学館の玉川学芸員の日記の記述です。

12月5日 ■新潮社から刊行された小説?『電車男』。これは、ブンガク史上、特記される「事件」といっていいでしょう。ブンガクはどこにあるか。「作家」の脳髄か舌先か掌か、原稿用紙か青インクか、パソコンワープロファイルかディスクか、インターネットウェブサイトか。
という感じで語り始めます。そんで
ブンガクは無論作家の脳髄だの原稿用紙だのに御座っているわけではない。一言でいえば、それは読者のまなかい(耳でも鼻でも皮膚でもいいのですが)にある。発するものと受けとるもの、その「関係」のうえに、ブンガクは心細く立ち竦んでいる、といっても良いかも。
とまあ正論といえば正論というか正論としか言いようがないようなあるような、まあアリキタリというか聞き飽きた系のアレですけど。で、玉川さんの指摘で「新しい」のは以下のような指摘でしょうか。
介在する錆び付いた夾雑物を、これほどきれいに取り除いた「作品」は、初めて。それだけでも「事件」。料理でいえば「サシミ」の発明のようなものか。
「夾雑物」と言っているのは掲示板へのノイズ的書き込みのことを指しているようです。ログからそれらを上手に取り除いて書籍の形にまとめたこと=サシミと評しているわけです。ただ「夾雑物」の除去は「まとめサイト」構築の段階ですでに済んでいたよう(書籍はそれをそのまま出版しただけ)ですよね。だとすると書籍として出版された今になってから「サシミ!!」と評価するのもどうでしょうね。

そして書籍という形で掲示板の書き込みを再編して出版したものはこれ以前にもありましたよね。またログから「夾雑物」を取り除いて「まとめサイト」を作るというのはもう慣習になっていることで、「祭り」が起きれば毎回作られるし、フラッシュに短くまとめられたりもしています(←掲示板閉鎖騒動を扱ったヤツとか名作もありますね)。

こうした事例を考えれば今回が「初めて」とはとても言えないのではないでしょうか。これ以前にあったものが彼のいう「ブンガク」という基準に合致するのかどうかは知りませんけど。

もし今回「初めて」といえる要素があったとするならそれはむしろ「広報」に関する部分だと思います。大々的にネットの外で宣伝をしてネットの外の流通に載せて喧伝したこと、そこだけが新しくて「初めて」だったんじゃないですかね。で、それは確かに「事件」なのかもしれないけど、その「事件」に綺麗にのせられている(ように私には見える)玉川さんは、なんというか冬ソナばばあ的かなと思わなくもなかったり。

で、ノリが悪い人に対しては以下のように「空気読め!」と怒ってみせるのである。


逆に、これはひどい、と思ってしまったのは、ある大新聞のさる著名作家の「書評」。(略)私は、これは読むべきではない「書評」だと思う。ということは、載せるべきではない、そもそも書くべきではない「書評」だった。それは内容以前のことであり、つまりこの「書評」は、重大なルール違反をしている。そのルール違反は、ここに述べた単行本『電車男』の持つ事件性そのものをないがしろにするものです。意図的にせよそうでないにせよ、書評者がないがしろにしてしまったのは、御本人と書評掲載紙の品性ですから。

ここで槍玉にあがっているのは朝日新聞における高橋源一郎の書評のことのようです。朝日新聞や高橋源一郎の品性がどうか?とだけ聞かれたら私も「ああ、ひどいですね」と答えるでしょうが、この文脈で出てきては話が違います。

「重大なルール違反をしている」書評なので「書くべきではない」ものだと言ってます。で、その理由は「単行本『電車男』の持つ事件性」をないがしろにするからだと言っている。そしてそのことが書き手の品性をないがしろにすることだと。

なんで?・・・と思う。「重大なルール違反」とは


 ……ところで、この本を読む前、「実は『電車男』なんて存在しないらしいですよ」と教えてくれた友人がいた。すべては、誰かが、掲示板の住人たちをたきつけるために作りだした「物語」なのだと。この現代では稀(まれ)な「純愛」が、事実なのか、それとも、誰かの創作で、それに初(うぶ)な掲示板の住人たちが踊らされただけなのか、この本を読む限りでは判断できない。

というようなところか。というかこの書評はこういうことの他はあらすじの説明しか書いていないし。そして

不可解なミステリーになるはずの「5月17日」を消し去ることで、この作品は、見事に「純愛」の顔つきをすることに成功している。

と締めている。5月17日というのは「電車男」本人の書き込みであるにも関わらず「夾雑物」として除去された書き込みを指している。それはこれからエッチしますという実況モノでヤラセ派はこれを重要な証拠の一つと考えているようなのである。

で、高橋源一郎がこの話を書くことがなぜ「重大なルール違反」なのだろうか。「ヤラセ」疑惑を仄めかすことがルール違反なんだろうか?「夾雑物をうまく取り除くことで純愛物語になっているよね」と指摘しているだけで、これは玉川学芸員の「サシミ」論と同じことを言っているようにしか見えないのだけど。

この書評が誰かの迷惑になるとしたらドキュメンタリー番組を「真実」だと思い込むようなナイーブ(ウブというか、原義に忠実に言って単純でバカ)な受け手の興が醒める=売り上げが落ちる、ってことぐらいしか思いつかない。そして出版物の売り上げ妨害をすること(あるいは積極的に協力しないこと)=品性がない、ってことなんだろうか。

それとも玉川さんも「ヤラセ」と思っていて、高橋源一郎の書評はいわば「手品の種をばらす」ような行為に見えたのでしょうか。でも文学者が文学の種みたいなものについて言及することをルール違反だと言ってしまったら文学研究は成り立たないと思うのですけどね。

そんであと「夾雑物」というのが実は大変に気になる。何かを夾雑物として排除したところに物語が成立したとして、その夾雑物というのは単に邪魔なだけなものなわけ?と思う。邪魔って何にとって邪魔なのさ!というか。

全く自然発生的に書き込みがなされたスレッド群を前にその中から植木を剪定するように枝葉を整えて全体の姿を損ねないようにしつつ、綺麗にに刈り込んで行った・・・というのが「まとめサイト」管理人だとするならこれは卓越した技と言ってよいでしょう。その際に切り落とされた枝葉が「夾雑物」としての書き込みであると。管理人は素材を生かす良い植木職人であり「サシミ」職人だったと言えます。

でももし完全にヤラセを軸に展開されていたのなら、つまり電車男がゲームマスターのようなつもりでスレッドを誘導し、それにそうような書き込みを「名無し」でも行っていたとするなら予定通りスレッド群全体を彼(ら)の意図にそうように形成していく際に邪魔だったものを取り除いただけということになります。なんというかこの場合を植木職人で喩えると無理矢理植木を元の形に関係なくピカチューの形に刈り込むとかそういう感じですね。

その過程で彼らの意図を外れていつつも文学的に面白い可能性を秘めていたような枝葉は予定と違うということで無下に切り落とされていた可能性もあります。ヤラセタレントオーディションで才能ある人が落とされるようなものというか。ま、ただ実際にそんな可能性(←予定外にすごい人が来る)なんてのは起こりえないからこそヤラセが行われているわけですけど。

(あれ?でもどっちの場合でも刈り込まれている以上ブンガク性というか創造性って植木職人に起因しているような気がしますけど・・・ムニャムニャ)

で、高橋源一郎が「初(うぶ)な掲示板住人」という言い方をしたのは一方ではこの掲示板住人がマスコミのヤラセを筆頭に様々なヤラセや作為に対して攻撃的というかまるで「ジプシー女の目」を持っているかのように暴き立てることとの落差を嘲笑ってやりたい、っていう意図があったのではないかと思うのですよ。

イラク人質騒動のときにこの掲示板では誘拐がヤラセであるという説が席巻していました。高橋源一郎はそのときには人質擁護派で朝日に記事を書きました。読者からの相談に答える、みたいな形式のフザケタ感じでしたけど。

あのとき叩かれたのは「イラクに人道支援に行った心正しい無辜の人たちが悪の自衛隊のために犠牲になろうとしている!!」という物語の妥当性だったわけです。

あの事件から少したって知人と飲んでいるときにその話題になったのですが、その知人ら(←哲学プロパ)が口を揃えていったのが奇しくも「高遠さんたちをヤラセといったやつらは下品」という言葉だったんですよ。

事件当時彼ら(=高遠さんたち)を非難する連中はけしからんと憤ってみせて、学生が当然追従すると思ったら反論されてショックだった経験をしたらしい。そんで私が「え〜、でもネットとかみると色々 ぁゃιぃ 証拠はあがっていたみたいだよ。ガンジャマンだったらしいしシンナー中毒のハンサムな男の子だけ面倒みるらしいし」と言ったら「なーんたる!!そんなのウソに決まってる!!学生もなんかオマエみたいなこと言うんだよなあ」と返ってきたので「だって本人が著書に書いたりしているみたいだよ」と答えたわけです。そしたら「それが事実だとしてもそれを言うのは下品!!」「そうだよ下品だよ、うんうん」みたいになったたんだよなあ。

「下品」とか「品性がない」と言われても反論ってしにくいというか事実関係は争えないですよね。

「電車男」がヤラセなのかどうかってところには私はあんまり興味はありません。ただカイヨワとブルトンのソラマメ論争をネタに語ると私はカイヨワ派(笑)です。ちなみにこんな事件。


誰かが持ってきたメキシコのジャンピング・ビーンズ(中に巣食った虫のせいで飛び跳ねる豆)。まず割って中を見ようというカイヨワの「反・叙情的」で「驚異le merveilleuxに敵対する」態度は、ブルトンの怒りを買った。カイヨワは言う、「私にとって、それは〈反・驚異〉 の態度ではなかった。驚異のもつ偽(いつわ)りへの抵抗、だったのです。私にとっては、この試練に耐えるものだけが驚異なのです」

でもまあ商売上の演出として「たまごっち」の作者を実際はオッサンなのに女だと言ってみたり、先にも述べたように最初から決まっているのに宣伝のネタとしてウン百万人からオーディションで選ばれました!みたいなことをやるのは、まあ勝手にすればって感じです。

ただそういう商売の都合があんだからダマレ!だとかある人が自分の信じたい物語を信じるのに邪魔なことは発言してはいけない、書いてはいけない・・・と主張するのなら話は別です。しかもそれをすることの善し悪しを「品性」という論争も論証も出来ない、反証可能性は無いものを根拠として一方的に決めつける態度に対しては憤りを感じます。っていうか仮にも学問に関わる人間がそれじゃあ駄目なんじゃねーの、とは声高らかにいいたい。言論封殺の抑圧装置に無自覚に加担するとはいかがなものかと。

言論の自由・・・なんていうと今では誰もが「ぷ」と笑うようになってしまってますけど、もうちょっとリスペクトしてよ、マジおねがいと思うわけです。

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