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ここまで叩かれる映画は記憶にない

まったく。すごいかも。

夕張で過酷なエキストラを募集していた「北の零年」の脚本もこれと同じ人らしいですね。渡辺謙さんも結構駄作に出ているからなあ・・・。

ってデビルマンの話なんですけどね。すごい。普段目にしないような評価がマスメディアからも出ています。たとえば朝日新聞ではこんな感じ。「それにしても紙とペンだけであれだけの衝撃を与えた原作の、なんと偉大なことか 」と締めてます。10億円も使って作ってこれかよ!ってことですね。あと毎日新聞も手厳しい。「日本漫画の歴史に燦然(さんぜん)と輝く永井豪の傑作「デビルマン」を実写で映画化した。(略)まずは冒頭から、画面に漂うそこはかとない安っぽさに驚く。そして次に衝撃を受けるのは、若手俳優たちが薄っぺらい声で棒読みするセリフのむなしさ。演技指導をする時間がなかったのだろうか」・・・救いがないですね。ま、こんな文脈で「この映画を見た後では、「キャシャーン」のうっとうしいほどの青臭さが好もしく思えた」と書かれて微妙にトバッチリを受けているキャシャーンも気の毒ですけど。

あ、毎日新聞でも大阪では永井豪の発言だけ載せて、自らの責任は回避しつつ誉めるという高度な技を使ってます(笑)。「永井は「作者の意図をしっかりと描いてもらって感激している」と話す」だそうです。ま、「ダメ人間」に対して大阪というか関西は甘いというか扱い慣れているというか。これはもう近世とかからそうですからね。アホには甘いけどバカには厳しいみたいな感じで。

あとおまけでこんな罵倒もあります。ふーん・・・。" Those who involved in this movie must suffer like hell and die the most painful death"っていうのは私もよく日本語で言いますが(←オイオイ!)かなり怒ってますね。なんというかこの映画の場合、みんな「トホホ」じゃなくて激怒しているのが特徴ですな。 

うーん・・・(苦笑)。この監督はビーバップハイスクールとかを撮っていた人だそうです。デビルマンの直前は「モー娘。」の映画を撮っていたそうですし。期待してはダメでしょうね。東映そのものがそういえばまともな映画を撮れない会社ですし。フミヤが出ている「赤影」とか源氏物語?風のヤツとか北京原人とか。プロデューサーとかもそんな映画を制作してもクビにならない人たちばかりで。オマケに出演者は全員素人(!)で役者が誰もいないみたいです。スゴイですねえ。びっくりだよ。

でも昔はこんな映画はたくさんあったけどなあ・・・とも思う。月光仮面とかも東映だったっけ?話題といえば女優の誰がオパーイだしたとかそんなのしかないような時代がたしかにあって(←脱ぎの関係があるのでヤクザ&遊郭みたいなのばっかり)、そんな中で監督その他が巨匠面して愛人(←しかもババア)とか作ってやりたい放題やってて、そんでそんな連中っていうのは別に「映画」そのものが好きなわけじゃないわけで。単に興行やってオイシイ思いがしたいだけだったんですよね。

で、邦画も微妙に最近では「映画」そのものが好きな人たちの手で復活してきたところもあるわけで、こういう「興行屋」がつくった粗悪品は目立ってきちゃうという点もあるのかなあ、で、みんな怒っているのかなあ・・・という気はします。

興行屋は見物料を取れればそれが「エリマキトカゲ」だろうとヒゲ女だろうと体に障害のある人だろうと見せ物は何でも良いわけですよね。見せているものの質とかには全然こだわらないわけで。なんだかな。

あと気になるのが「永井豪のデビルマンは名作」ってことが既定事実のように扱われている点ですね。あれは「名作」だろうか?ああいう壊れ方をした話というのはある意味よくあるものだったのじゃないかな、とも思います。今と違って(←ジャンプの漫画をアニメ化するとか)当時はアニメと漫画は同じキャラクター(←大抵は姿とか基本設定だけ)を使って同時に制作発表されていたのが多くて、漫画の方は大抵滅茶苦茶になってました。特撮とかでもそうですね。「まんが秘宝」かなんかでこれについて扱ったのがあったような気もします。

で、キャラさえ使っていれば(←そして連載を落としたりしなければ)何をやっても良いという自由度があったようで、日程が苦しくなってくるとストレス溜まって漫画家の人はもうやりたい放題やっていたようです。永井豪作品でいえばゲッターロボとかだってもう目玉えぐったり子供が死んだ仲間の生首もって云々とか手足が千切れてどうのとかスゴイですよ。でもスゴイけどそれはなんというか、表現としてはダメなんじゃないかと私などは思ったりするわけですよ。石森章太郎はちゃんとやり通すか笑いに逃げるかだった気がしますけど、永井豪は間違いなく残酷(←そしてそこにエロも含まれてしまうところがスゴイようなヒドイような)表現が加速していくタイプだったと思います。

でもそうした「壊れ方」を通じて表出されてくる(←または「壊れ方」を通じてしか表出されない)ものもあるわけで、その中には後世に残るだけの価値あるものを含みつつかろうじて作品として完結できたものもいくつかあったわけです。デビルマンはそうしたものの一つでしょうし、永井豪の漫画で良いものというのはそういう生まれ方をしたものだけだったと私は考えています。

ま、もちろん表現者は自分の表現しているものを最後までコントロールしなくてはいけないという義理もないのですけどね。デビルマンのアレは妙にうまくハマったというかなんとかオチがついたというものであって、それは偶然できあがった(それだけに他メディアには移しにくい極めて微妙なバランスによる)奇作ともいうべきものであって名作じゃないんじゃないかなあ・・・と思ったりするんだけど、どう?

追記:あれ?「ゲッターロボ」は石川賢だったっけ?あのあたりの関係とかよくわかってないからなあ。そういえば永井豪は石川県の出身だそうだがこれは石川賢と何か関係あるのか?(←知らんがな)。

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Tracked on October 13, 2004 11:00 PM

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